【ゲームプロデューサーを目指す学生がクリエイターにインタビュー 】自分の武器を探して探してやっと辿り着いたゲームプロデューサー木村という在り方 木村雅人#3

なぜプロデューサーに
福山「デザイナーとして最初のキャリアを始められたとのことですが、これまで教えてくださった業務とデザイナーは比較的遠い位置にあるなと感じます。どうしてプロデューサーの方向に進もうと思ったのでしょうか。」
木村様(以下、木村と表記)「僕は仕事について一時期すごく悩んだこともありました。元々はやっぱりゼロからゲームを作りたくて、自分の中からの何かを、面白いものとして昇華して、お客さんに届けることを、開発のど真ん中でやりたかったんです。今はマネジメント側に片足を突っ込んで、言ったら壮大な雑用みたいなことをやっているんですけど、この開発を、クリエイティブを、”支える”のって、果たして自分がやりたかったことなのかな……と思ったこともあったんですけど、なんやかんや結局、僕はこれが”好き”で”面白い”んですよね。」
木村「最初にマネジメント側の仕事をやろうと思った理由に、『会社の経営状態とかの様々な事情によって開発現場のモノ作りが左右されてしまうのを何とかしたい!』というのがあって、その時僕のいた会社はかなり開発部門やデザイナーの想いとかを大事にしてくれている会社だったんですけど、それでも『もっともっと開発がやりたい、面白いって思うことをユーザーに届けられたらいいのに。』と思うところがありまして、でもそれを一人のデザイナーとして言っているだけではできることってそんなに無いなと。」
木村「ではそこを、ゲーム開発自体を変えていくために、本当に天才と言って良いような、もの凄い人たちがひしめき合っているゲーム開発の第一線で、僕がものすごいできることって何やろう?と考えたときに、人と人を繋げたりとか、人の懐に入ったりとか、あとは本音を聞き出したりとか、何かここやばいよ!っていうところに気がつく力。そこらへんを大事に色々な人と繋がることができるからこそ、色々な人のことを知っていて、知っているからこそチームビルディングをするときに工夫ができるし、何でここが問題なんだろう?というふうにその問題に対処できる、そんなところなのかもと思いまして。マネジメント側にいこうと考えたわけです。」
木村「おそらく僕のこの能力みたいなモノは、ずっと自分の嫌いな力だったんです。この力って、中学、高校のときだと八方美人なヤツに見えてしまう。僕としては色々な人と関わりたくて、仲良くしたいと思ってるだけなんですけど、周りから見るとアイツはどこでもない、誰の味方やねん!みたいに思われてしまうようなところがあって、自分自身のすごい嫌いなところだったんです。それがその後、色々あって、ゲーム会社に入ってみたら、自分では息を吸うようにやってしまうことだけれども、周りから見ると『お前すごいな。』って言われることだったわけで、『うわ~、これか~、俺の才能……。もっとかっこいい才能が良かったなぁ。』って思いました(笑)。」
木村「みんな何かしらの才能と能力を持っていて、それがお話を書く能力だったり、絵を描く能力だったり、面白い企画とかカッコ良いアクションを作るっていう能力だったりするんですけど、『僕の特殊能力、そこかぁ。』って思いましたね。でも、それが本当に息を吸うようにできて、全然嫌じゃないし、人と関わることは寧ろ大好きだし、せっかくの力であるならば、もうこれで頑張るかと決心しました。」
木村「でもやっぱり最後の最後まで、本当にデザイナーの仕事を全部無くして、チームマネジメントに専念するまでには、半年ぐらい、ものすごく悩みました。」
福山「仕事は自分ができること、やりたいこと、求められてることで構成されているというお話もありましたが、プロデューサーの仕事はできることと求められてることに合致していたからということだと思います。ただ、やりたいこととは少し違っていて、そのギャップの解消は難しかったということなのかなと感じたのですが......」
木村「でも、ややこしいのですが、やりたくないことではないわけですよ。ゲームを作ってお客さんを喜ばせるという大きな意味でいうと、やりたいことの中には入っていてくれたから良かった。」
木村「三つのファクターが全部ハマってくれれば一番幸せだけど、中々難しいと思うので、2.3から2.5ぐらいはハマっていてくれたのかな?みたいな感じです。」
木村「やっぱり人と関わるのが好きっていうのは本当に昔からなので、僕が面白いと思っている『ゲームを作るという仕事』の中でそれをやらせてもらえるのであれば、それはすごく幸せだし、役に立てそうだなっていうのがあって、そっちに舵を切りました。ゲーム開発の環境を作るっていうところで僕の力はすごく発揮されやすいので、それもあって大手を抜けて、ゲーム開発スタジオを立ち上げるっていうのをやってきました。」
福山「自分の関わっている分野で自分が一番だって言える人ってよっぽど限られてくると思うんです。自分ができる、求められていることに舵を切ることの多くは、誤解を恐れずに言うと、消極的な選択に近いものなのかなと感じてしまいます。」
木村「それも本当に人によりますね。どこの世界にも、とんでもない人ってのはいるものなんです。」
木村「学生時代に美術研究所で絵を描いていたときに、デッサンとかやるわけですよ。そのときに僕は頑張って絵を描いてしまっていたんです。でもたまに、頑張る頑張らないではなく、ただただ絵を描くのが好きすぎて、楽しすぎる、本当にこの人はこれをすること自体が幸せで仕方がないんだっていう人がいるんです。」
福山「私の周りにもそういう人が何人かいますし、そういう人たちを見て自分のできることってなんだろうって考えるので、とてもよくわかります。」
木村「それを目の当たりにして『絶対この人には勝てんわ~』っていうふうに思い知らされる経験が僕自身は高校ぐらいのときにあって、皆さん、いつかどこかの何らかのタイミングで、そんな経験をすると思うのですが、それでもやっぱり好きだから、自分の中に絶対に何か才能があるはずだと思って芸大とか美大に行って頑張ってみるんですけど、そこでもいろいろ打ちのめされたりとかして。大学にいるときに自分はこれでやっていこうっていうのが見つかれば、それはすごい幸せなことなんですが。」
木村「僕の場合はコンピュータグラフィックっていうのに出会って、芸大をドロップアウトして、日本や海外の学校でCGにガッツリのめり込めたので、デザイナーとしてゲーム会社に就職できた。でも、やっぱり上には上がいて、プロの世界には本当にすごい人だらけで。」
木村「CGの専門学校では結構優秀な方だったんですよ。なので『もう全然CG分かってるんで!』みたいな感じで張り切って入社して、それで仕事を始めたら、もうびっくりするぐらいに『プロってこんなにすごいのか!!』と衝撃を受けて、そこでちょっと伸びようとしていた鼻がポッキーンって折れて、その中で必死になって自分の中を探しに探して見つけたのが、これらの武器だったような気はしますね。」
会社側から見るプロデューサーになった経緯
福山「ここまでは、木村さん側の主観としてお話いただいた形ですが、会社としてはどういう流れでプロデューサーという位置になっていったのでしょうか。」
木村「それで言うと、その頃まだプロマネとかっていう考えがゲーム業界には、あまりなかった時代なんですね。」
木村「僕がいた部署のトップだった方の考え方として、各セクションのリーダーはプレイングマネージャーであってほしいというのがあり、デザイナーを引っ張っていくリーダーは、『あの人すごいな。』って思われるスペシャリストだからみんなついていくっていう考え方だったんです。」
木村「だから第一線でモノ作りをしながら、しかもセクションのマネジメントもやっていって欲しいっていう考えのもとに作られた開発部署だったんです。そういうゲーム作りからずれた人ってのはいない、ゴリゴリのモノ創りの場所だったんですね。」
木村「だから、僕みたいなのは『こいつ人見れるんやん。』と思ってもらえてか、便利に使っていってもらっていたような気はします。おそらく上司としても、『あいつエフェクトデザイナーとしては普通やけど、人の面倒を見させたら結構エエな、人の本音を引き出すのは上手やな。』みたいなふうには思ってくれていたみたいです。」
木村「その上司はスタッフの声をすごく大事にする人で、また、その頃から、ゲーム開発っていう中でもそういうことが大事になっていく時期でもあったんだと思うんです。だから、僕自身はそこにうまくフィットできたのかなとは思いますね。」
福山「元々そういった役職があったわけではなく、仕事として振り分けられていった結果、あとからその仕事の内容に名前がついたような形なんですね。」
木村「経歴のところにも書いていただいたんですけど、僕は元々エフェクトのデザイナーなんですよ。でも、ずっとプランナーをやりたくて、途中でプランナーになるんですけど、そのときのタイトルは外部の協力会社さんと一緒に作っていて、チーム丸ごとその会社さんにお邪魔して作らせてもらっていたんです。」
木村「チームの引っ越しとか、向こうの会社の人と色々と話をしていく中で、自然と僕が窓口みたいな状態になっていったんですね。多分何となく話し易そうだったからだと思うんですけど、外部の会社のスタッフさんと、チームと、ディレクターとの間に入ってぐるぐる回すみたいなことをやるようになっていきました。」
木村「そこからは色々なプロジェクトで、『お前あのチーム回してこい。』っていう感じでした。今考えると、あれはプロマネみたいな仕事の仕方だったんだと思うんですけど、その頃まだゲーム開発現場にはプロマネっていう言葉があまりなかったので。」
木村「そんな風に色々なタイトルに関わっていって、そこで人を回すのが本当に面白くなってしまって、マネジメント方向に行こうってなっていった感じです。多分、会社としても『なんかアイツを放り込んでおくと回してくれるから便利だな。』っていう感じだったんじゃないかなと思います。」
今回のお話をうけて
ゲーム業界が進路の選択肢にある人は、その具体性や方向性に違いはあっても何かしら作りたいもの、届けたいものがあるのかなと思っています。仕事の構成要素として、できること、やりたいこと、求められていることの三つが挙げられていましたが、やりたいことに偏りやすい業界でもあるなとも思います。
そんな中で、やりたいことの中心から離れてしまうことはかなりのストレスを伴うだろうというのは容易に想像がつきます。木村さんの経験に対して、個人的にとても共感できる部分があったことで、今回のお話は今でも考えることがあるくらいに刺さるものがありました。
次の記事にも繋がる話ではありますが、仕事の三要素をどれだけ満たしていれば良しとするのか、どれだけ欲張っていくのかが様々な選択において考え、自分なりに納得していくことも必要なのだろうなと思います。
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