【ゲームプロデューサーを目指す学生がクリエイターにインタビュー】ディレクター論は人それぞれ、どうやってサポートする? 齋藤健治#4

プログラマーからディレクターへの転身
齋藤さんはプログラマーからディレクターへと、業務内容が大きく変化するような経験がある。職種ごとに求められることのギャップをどのように埋めていたのか、その中での気付きについて伺った。
福山「プログラマー、プランナー、ディレクターと様々な職種を経験されていますが、業務内容も求められるスキルセットも変わってくると思います。その際にどんな取り組みを行っていたのか、対応するために行ってきたことはありますか?」
齋藤様(以下、齋藤と表記)「特にプログラマーからディレクターになったのは本当に唐突だったんです。」
齋藤「ちょっと横道にそれる話なんですが、当時の3月中旬ぐらいに上司から会議室に呼び出されたんです。『大きなプロジェクトの話が来ていて、ディレクターを探している。お前ディレクターにならんか。』」
齋藤「ここでYESと答えないとこのプロジェクトは無くなるとも言われ、シリーズファンであるタイトルということと、もとよりディレクターをやってみたいということもあり、もうYESって答えるしかないみたいな状態でした。だから10秒ぐらいで決めて、その翌々週ぐらいから急にディレクターとして立つみたいな状態になり、急遽引継ぎをすませ、何の覚悟も準備もないままに唐突にディレクターになってしまったんです。」
齋藤「今考えると重要な決断だと思うので、
齋藤「最初にディレクターとして何が必要なのかを思い出させてもらったのが、ベヨネッタでもビューティフルジョーでもお世話になっていた神谷さんの立ち回りや仕事ぶりだったんです。」
齋藤「神谷さんが一番最初にやっていることは、ピラーと呼ばれる最初のコンセプトをしっかりと作って、ゲームの方向性を決めることでした。ゲームの方向性やコンセプトをしっかりと決めたうえでチームに説明し、必要になる仕様やステージ、キャラなどの要素や必要となる技術というのを決めていました。なので、僕もそれをしっかりやろうと。」
齋藤「ディレクターになってからはもう本当に勉強の日々で、プログラマーと違ってゲーム丸ごと見ないといけないので、いろんな技能や力が求められました。プログラマーだと気にしなかった絵や音楽だったり、あらゆることに対してYES/NOを答えないといけない。これはそんな日々の中で身に付けましたね。」
齋藤「ディレクターがきっちりYES/NOを言えないとチームがブレてしまうし、現場に気持ちが伝わらない。現場の疑問に答えられなくてもチームがブレてしまう。これらを経験しながら学んでいったところはあります。」
齋藤「ディレクター初心者だった最初の1年ぐらいはかなり右往左往していたんですけど、こうした経験から中盤ぐらいからはやっと割り切ってその場で判断できるような状況になりました。スキルセットというよりも心構えの違いというか覚悟を決めて、ディレクターであるということが自覚できたというのはあると思います。」
福山「具体的に何かメソッドがあって、というよりは体当たりで取り組む中で、これをしないといけないなと気付いていったという感じなんでしょうか。」
齋藤「というのもありますし、右往左往していた時期に上司からこっぴどく怒られました(笑)」
齋藤「そのお叱りをきっかけにディレクターがやるべき事というのを考え、見直したという事もあり、自分の中のディレクターの方向性が固まってきたという感じです。」
ディレクターは独立性が強い
福山「これまで何度かお名前が出ていますが、齋藤さんのディレクター像として神谷さんがいらっしゃったと思います。自分で試行錯誤したり、分からないなとなった状態の時に相談をしたりといったことはなかったんでしょうか。」
齋藤「実は全く神谷さんには相談していないんですよ。」
齋藤「これは僕のいじっぱりなところで、相談したら負けな気がしたんですよ。それに自分の力で作り上げたかったということもあり、その両方から相談はしなかったです。負けず嫌いだったんですよ。ただ単に(笑)。」
福山「制作が終わってからも相談はしなかったんですか?」
齋藤「終わってからもしなかったですね。」
齋藤「神谷さんは自分の方針、方向性を持っている人に対しては見守るという事をしていたのだと思います。」
福山「その人なりのやり方やこれまで築き上げてきたものを、何かを言って変に弄ってしまうことを避けるという感じなのかもしれないですね。」
齋藤「プロジェクトが増えた時期に、それに合わせてディレクターの人数も増えたのですが、その時もディレクター同士で話をするという事が多くなかったので、ディレクターってお互いにあまり交流をしない職種になっているのかなというのを感じていました。」
福山「かなり意外なお話です。ゲーム業界に限らず、大体の仕事では初めてのポジションや新卒の人には経験のある人が付いて相談できるみたいなことが一般的というイメージでしたが。」
齋藤「他のセクションはそうだと思います。ディレクターに関しては叩き上げ方式のスパルタ教育だったので(笑)。」
福山「今までのお話を聞いていると、あまり画一的にならないようにしているのかなと思いました。」
齋藤「あとはプロデューサー・ディレクター制を取っている意味というのもあって、ディレクターをトップとして、方向性を決めてゲームを作るというのがあるので、そこに干渉することを基本的には避けるんですよね。」
齋藤「ゲームは合議制では面白くならないというのがあるので、その人が面白いと思っていることを膨らませるのは良いんだけれど、そこを邪魔したり方向性を曲げるようなことはしてあげるべきではない。互いにそう思っていたので、割と独立性が強い状態になったんだろうなとは思っています。」
新人ディレクターへのサポート
齋藤「僕自身はキャリアの後半の方にディレクター補佐みたいなことをやっていました。プロジェクトの数が増えたこともあり、初めてディレクターになるメンバーが多かったんです。昔自分が経験したことですけど、ディレクターってやっぱり孤独を感じてしまうことがあるんですよね。」
福山「最終的に判断するのは、どうしてもディレクターに集約されてしまうということですか。」
齋藤「はい。アイディアやいろいろな判断をする時の壁打ち相手が欲しかったりしたんです。その相手になれるようなポジションとしてディレクターのサポートをしようと思ってやっていることは多かったです。」
福山「判断そのもののサポートというよりも、判断するための自信や経験を積ませるための心理的安全性みたいなサポートという感じですね。アイデアが縮こまらないためのサポートのような。」
齋藤「そっちの方が大きいですね。あとは僕も経験はあるので、『昔こうだったよ』みたいな知識を分けてあげることで、考えを狭めないようにしてあげていました。」
齋藤「最初にディレクターをしたプロジェクトの時に、『この機能を実装したいからこうするしかない』と目の前しか見えていなくてチームメンバーが右往左往することもあったんです。似たような事案が新たなディレクターとして就任していたプロジェクトでも見られたので、『これは自分も経験をしたダメな状況だ』と思ってしまって。状況の解決を手早く行う手伝いや、そのような事態にならないようにしたいということも考えていました。」
─── ディレクターという職種に就く人数は他の職種と比べて少なく、その分育成についても十分なメソッドが確立されていないのかもしれません。齋藤さんは自身の経験を用いてできるサポートとして、後輩ディレクターに手法を授けて育てるよりも障害となりそうなことを減らす方が良いと考えたのではないでしょうか。
今回のお話をうけて
今は笑って話されていましたが、ディレクターになったばかりの頃はかなり大変だったのだろうなと感じました。
外野として話を聞いている限りでは、ディレクター論みたいなものに何となく共通の傾向はあるものの、先輩を参考にしたり、経験して気付いたりなど、その背景はバラバラだなと感じます。ディレクター論を話し合うこともあまりないということにも納得がいく気がします。
齋藤さんに関しても、サポートする際に方法論などにはあまり干渉せず、経験から学ぶための手伝いや不要なトラブルを避けられるようにするといった形でした。方法論を教えて育成することと、その人のディレクターとしての個性を両立するのは難しいのかもしれません。