「ネットはデマ、地上波は正義」なのか――総選挙後に露出した“政治家のメディア観”と若者の冷笑

総選挙後に露呈した「ネットはデマ、地上波は正義」という政治家のメディア観を起点に、若者が政治を冷笑する構造を分析。ネット情報、地上波報道、ダブルスタンダード、若者と政治の断絶という本質的課題を解説し、今後の政治に求められる誠実さを読み解きます。
総選挙が終わった。
結果として語られたのは「自民党の勝利」というより、「高市政権の勝利」と捉える論調が多い。
だが、今回の選挙で本質的に注目すべきは、勝敗そのものよりも、敗者の言葉だった。
落選した政治家たちが口を揃えて語った敗因。
それは「ネットは(の)デマ」だった。
この瞬間、多くの若者の頭に浮かんだのは、単純な疑問である。
ネットは悪い情報(デマ)で、地上波は良い情報なのか?
この問いは、単なるメディア論ではない。
むしろ、日本の政治が若者から距離を置かれる根源を示す象徴的な問題である。
1. 敗因を「ネット」に押し付ける政治の心理
選挙に敗れた政治家が外部要因を挙げるのは珍しいことではない。
経済情勢、政権の逆風、党の方針、組織力不足。
これらは、過去の選挙でも繰り返されてきた常套句だ。
だが今回、特に目立ったのは「ネットの影響」という説明だった。
この発言の背後には、2つの心理が透けて見える。
1つは、「自分の政策や言動に問題はなかった」という自己正当化。
もう1つは、「有権者は騙された存在だ」という無意識の上から目線である。
若者にとって、この構図は極めて違和感がある。
なぜなら、ネットは若者にとって「日常」であり、「現実」だからだ。
2. 若者にとっての情報環境はすでに“複線化”している
20代の情報取得は、もはやテレビ中心ではない。
- X(旧Twitter)、YouTube、TikTok、note、ブログ、海外メディア
これらを横断的に見ながら、若者は「情報の信頼度」を自分で判断している。
重要なのは、若者がネット情報を「無批判に信じているわけではない」という事実だ。
むしろ逆である。
- テレビ → バイアスがある前提で見る
- ネット → 玉石混交だが比較可能
- 政治家の発言 → 信頼度は最低ラインから評価
つまり若者は、「どのメディアも完全に正しくない」という前提で生きている。
それにもかかわらず、とある政治家達が「ネット=デマ」と一括りにする瞬間、若者はこう感じる。
ああ、この人たちは、自分たちの世界しか見ていないのだ。
3. 「地上波は正義」という幻想
地上波テレビは、日本社会において長らく「公共性」の象徴だった。
だが、若者にとってテレビはすでに「既得権益のメディア」である。
- スポンサーの意向
- 放送法による制約
- 記者クラブ制度
- 政治との距離感
- 編集による文脈操作
これらを若者は直感的に理解している。
たとえば、政治家の発言がニュースで報じられるとき、
- どこが切り取られたか
- どこが省略されたか
- 誰のコメントが添えられたか
これらを若者はSNSで検証する。いわゆる「切り抜き」は、もはや陰謀論ではなく、情報リテラシーの一部になっている。にもかかわらず、政治家が「切り抜きは悪だ」と断じる姿勢は、若者にはこう映る。
都合の悪い部分だけ隠したいだけではないか。
4. ダブルスタンダードという最大の問題
今回の選挙で若者の不信感を増幅させたのは、単なるメディア論ではない。
それは「ダブルスタンダード」である。
- 他党の不祥事 → 徹底的に批判
- 自党の不祥事 → 曖昧な説明
- 裏金問題 → 「制度の問題」
- 他党の金銭問題 → 「倫理の問題」
この構図は、若者にとって極めて分かりやすい。
政治家の言葉が届かなくなった最大の理由は、政策ではなく「態度」なのだ。
討論会での姿勢も同様である。
- 相手を批判することに終始
- 自分のビジョンは曖昧
- 責任の所在は常に外部
こうした態度は、どの支持層に響くのか。
答えは冷酷だ。
すでに政治的立場が固定化された層にしか響かない。
5. 若者は政治を「信じていない」のではなく「見抜いている」
よく言われる言葉がある。
「若者は政治に無関心だ」
だが、これは正確ではない。
若者は政治に無関心なのではなく、政治を「信用していない」。
いや、もっと正確に言えば、「構造を理解してしまった」のだ。
- 政治家は選挙前だけ若者に寄り添う
- 選挙が終われば高齢者政策が優先される
- 若者向け政策は予算規模が小さい
- 失敗しても責任は曖昧にされる
この構造を理解した若者にとって、政治家の「ネットのせい」という発言は、ほとんど滑稽ですらある。
6. ネットを敵視する政治は、必ず敗れる
歴史的に見ても、新しいメディアを敵視した権力は必ず敗れてきた。
- 新聞を弾圧した権力
- ラジオを軽視した政治
- テレビを恐れた独裁者
- インターネットを規制した国家
共通点は一つ。
情報の主導権を失った瞬間、権力は崩れる。
ネットはデマも生む。だが、地上波も誤報を生む。
重要なのは「どちらが正しいか」ではなく、「どちらが検証可能か」だ。
ネットは検証される。地上波は検証されにくい。
若者がネットを信じる理由は、そこにある。
7. 若者に響く政治とは何か
では、どのような政治が若者に響くのか。
答えは意外と単純である。
- 言い訳をしない
- ダブルスタンダードをやめる
- ネットを敵視しない
- 有権者を「騙された存在」と見なさない
- 失敗を認める
これは理想論ではない。むしろ最低限の条件である。
若者は完璧な政治家を求めていない、求めているのは「誠実さ」だけだ。
終わりに:政治家が恐れているのは“デマ”ではなく“可視化”
今回の選挙で露出したのは、ネットのデマではない。
政治家の本音だった。
ネットが怖いのではない。
怖いのは、「発言が記録され、比較され、拡散されること」なのだ。
若者はすでに知っている。
問題はネットではない。
問題は、政治家自身だ。
この認識が変わらない限り、「ネットのせいにする政治」は、今後も敗れ続けるだろう。
そしてその敗北は、選挙結果よりも深刻な意味を持つ。
それは、政治が若者から完全に見放される瞬間だからだ。



