『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで

『ファミ通』4代目編集長のバカタール加藤さん。鼻にペンを挿して写真に撮られ、『ファミ通』でゲームにかこつけたオモシロ企画が掲載されていればこの人の企画でした。そんな『ファミ通』時代のエピソードや『ファミ通』編集長から現在の合同会社「ハナペン」の社長になるまで何をしていたかをバカタール加藤さんに存分に語ってもらいました。 とても1回では収まらない内容なので特別に連載の形でお送りいたします。

ハナペン合同会社 加藤克明(バカタール加藤)

早稲田大学を中退した後、1990年にアスキー入社。『ファミコン通信』編集部に配属され、バカタール加藤のペンネームで誌面に登場し、読者の人気を得る。2000年に『ファミ通64+』の編集長に就任。2002年には週刊『ファミ通』編集長に就任。ポータルサイト『Walker47』編集長をはじめ多くの新規事業の立ち上げに力を尽くした後、2018年にカドカワから分社化、設立したGzブレインを退社、ハナペン合同会社を設立。現在はゲーム関連事業をはじめメディア・出版関連事業などを行っている他、「ハナペンニュース」というニュースサイトを運営し、ゲームや野球、激安居酒屋など自身が興味のあるニュースを配信している。

株式会社コンフィデンス 取締役 竹下和広

ゲーム業界黎明期のSNKに入社し、同社欧州事務所代表に就任。その後、サミー、アクレイム、イグニッション・エンターテイメント・リミテッドで海外での実績を重ね、2011年、スタジオマネージャーとして関わった『エルシャダイ』を発表。現在は、株式会社コンフィデンスでゲームのトータル・ソリューション事業に携わっている。

 

 

 

目次 

『ファミ通』から『Walker47』の人へ
新生角川の象徴となる事業の担当に

「ニコキャス」「eスポーツ」「電ファミニコゲーマー」
いろいろな事業の立ち上げに奔走

自分のやりたいことだけをやるため「ハナペン」を立ち上げたものの…

 

バカタール加藤氏(以後、加藤):『ファミ通』を辞めた後のことって話してないんです。KADOKAWAを辞めて2年なんですけど。

竹下どこかで話そうと思っていたのにうやむやになった感じですか

加藤:辞めた後の話は全然、話す機会がなかったんです。そういう意味では総括するってことでいいのかなと思っています。『ファミ通』時代の話もあまり喋ってないですね」

竹下『ファミ通』時代の話とかはしてもいいんですか?

加藤:話していいのかどうかはともかく、その後『ファミ通』時代のことを取材されたことはないんですよ。『ファミ通』の時ってゲームの話を聞かれますよね? でも『ファミ通』自体のこととかボクのやったこととか聞かれたことは全くありませんし、差し障りがない範囲で、ファミ通のことも含めて、自分のことをお話しできたらいいなと思っています。

竹下そういう意味では貴重ですね 。

加藤:なので、割としっかり話していこうと思っています。あとで編集が大変になるくらい喋ります!

『ファミ通』から『Walker47』の人へ
新生角川の象徴となる事業の担当に

竹下それではハナペン立ち上げの話からしていきましょう。『ファミ通』を辞められてから何をしていたかを聞かせてください

加藤:『ファミ通』の後、『Walker47』に異動したんですよ。ちょうど角川グループの多数の出版社が合併して、角川の10社くらいの出版社が1社にまとまってアルファベットの『KADOKAWA』になる前の話です。
今後のために大きな新規事業を始めますということで、その時に紙の編集者はWeb化に対応しないといけないし、デジタルに強い会社にならないといけないということで、スマートフォンのサイト(サービス)を立ち上げるってことになったんです。それをカドカワのポータルサイトにってことでそれが『Walker47』っていうブランドです。
その頃、ボクはすでに『ファミ通』の編集長を退任してて『ファミ通』のCCO(チーフクリエイティブオフィサー)と主筆をやっていました。でも正直、あんまりパッとしていなくて…(苦笑)。その頃、ちょうど常務になった浜村さんから『角川グループでこれから立ち上げる新規事業が2つあるんだけど、どっちかをやって欲しい」って言われて『Walker47』を選びました。

※『Walker47』:地域に特化した地域編集長によるコンテンツが特徴の地域密着型のWebメディアサービス。編集長は元『ファミ通』編集長のバカタール加藤氏と元『東海ウォーカー』編集長の長瀬正明氏の二人体制。

竹下『ファミ通』を離れることになったんですね

加藤:『ファミ通』の編集長を引退すると、自分の上の人って浜村さんしかいないんですよ。でもそうなると『ファミ通』に自分がいてもできることはあまりなくて、せっかく角川グループになったんだし、ファミ通以外のことにもチャレンジしてみたいというのが正直な思いでしたね。
それで『Walker47』はオールカドカワで作るスマホのポータルサービスなので、元『関西ウォーカー』の編集長と『東海ウォーカー』の編集長を紹介されて会ったんです。そうしたらお互い雑誌の編集だったことや同世代だったりで、すごくフィーリングが合ったんですよ。
そして次にYahoo!からカドカワにきたYahoo!モバイルのPV(ページビュー)を何倍にもした凄い人っていう方にも会って話を聞きました。
その時に「ボクはずっとWebがやりたかったんですけど紙の経験しかないんです。それでもいいですか?」って正直に聞いたら「そういう人がWebをやることに意味があるから、ぜひやって欲しい」って言われて、じゃあお願いしますと。
この人達に会ったことで、『Walker47』のデジタルのサービスの立ち上げにチームでやっていくぞってなりました。それがボクの中で一番のターニングポイントですね。それまでずっと『ファミ通』しかやっていなかったので。

竹下それが『ファミ通』の後で覚悟を決めた大きなターニングポイントだったんですね

加藤:実はそれまでエンターブレインっていう会社は独自路線でやっていて、角川グループにはいたけど、自分を含めて、たぶん多くの社員は、「角川」という意識もなくて、角川グループのことは、何も知らないって状態でした。アスキーからエンターブレインっていう流れからしか仕事をしていないから、いわゆる角川のことって現場の人たちは知らないんですよ。 なので『Walker47』に行くというエンターブレインでは経験していないことを経験したり、角川グループ各社のこと、Walkerのことが勉強ができたり、ファミ通とは全然違う仕事ができたのは、本当に大きかったですね。それから、ファミ通は角川グループの中でも売れている雑誌だったし、角川マガジンズだけじゃなくてヤフーや外部から来た人たちも、ファミ通の編集方針やノウハウには興味を持って聞いてくれたのも、ありがたかったです。そういう意味では自分はとても恵まれていたと思います。

竹下『Walker47』ではどんなことをされていたんですか?

加藤:モバイルの新しいサービスを立ち上げるので、Webサービスの企画書を作ったり、仕様を考えたりというところからやりました。画面遷移の仕様図を書くとかからやらされました。元ヤフーやデジタル系の人たちに毎日ダメだしされながら(笑)。もう毎日、泣いてましたね(笑)。それまでボク、パワーポイントなんか使ったこと無いのに毎日泊まり込みでパワーポイントで資料を作って翌日の会議で発表してまた直すっていうのを繰り返していました。 それまでWordくらいしか使ったこと無いのに。

竹下新しいことを始めていますが、それは何歳のときのことなんですか」

加藤:40後半くらいでしたね。仕事はキツくはなくて楽しかったですね。ただ毎日、徹夜徹夜でしたけど。

竹下それで『Walker47』では何年くらいやられていたんですか?

加藤:それが立ち上げからなんだかんだで完成まで1年半くらいかかりました。それでオープンした時は実はカドカワが合併したあとで、今度はドワンゴと合併しますっていう発表があった頃なんですよ。それで、角川とドワンゴの合併に際してあらゆる事業の精査を行ったようで、整理の対象になったようです。その頃『Walker47』はサイトを立ち上げたばっかりでPV(ページビュー)も無かったし、角川の未来を担う事業としてかなりの額の投資をしていましたが、タイミングも悪かったのか、実際のサービス開始の2、3ヵ月後にはサービス終了(正確に、一部はWalkerplusに統合)の決定が下り、ロンチ後半年で終了してしまいました。
それでもこっちは1年半掛けて作っているし、「ボクは『ファミ通』には帰りません。『Walker』の人になります」って行って出てきて、『Walker』に骨を埋める気で来たのに2年でそんなことになって困りました。ぶっちゃけいうと「Walkerに残りたい」ってお願いしたんですけど、ダメでした。

 「ニコキャス」「eスポーツ」「電ファミニコゲーマー」
いろいろな事業の立ち上げに奔走

竹下何か最初の転機からそれも転機になってしまったみたいな感じですね。

加藤:はい。それからは怒涛の展開で。エンターブレインでドワンゴとゲームの協業をやるから戻ってこいって言われて、カドカワのある飯田橋、正確に言うと『Walker47』は市ヶ谷オフィスだったんですが、そこからエンターブレインの人たちが移っていた東銀座のKADOKAWA・DWANGO(当時)に転籍になりました。そこでドワンゴとスマホのサービスの新規事業をやることになったからスマホのサイトを作ってきた経験を活かしてくれと言われて、これはラッキーだなと

竹下それはどんな事業だったんですか?

加藤:それはニコキャス関連、ニコニコの新しいスマホ関連のサービスでした。ドワンゴが立ち上げるスマホ向けのサービスにKADOKAWA・DWANGOが協業するサービスを載せるから、そこに載せるその企画の取りまとめをしてくれっていう仕事です。
そこでドワンゴのエンジニアと毎週のように、会議しながら企画を見せて(仕様的に)『やれるかやれないか』を相談していたんですけど、サービスの仕様が固まっていないからエンジニアからは『わからない』としか言われなくて難航していました。それで結局、ドワンゴさんの方で開発の体制から見直すことになりました。

 ※ニコキャス:Twitterアカウントと連動させた30分まで無料で配信ができる動画配信サービス。配信ができるのはiOSのみだが閲覧はPC・Androidでも可能。視聴者はコメントをしたり、ニコインという仮想金貨を配信者にプレゼントすることでコミュニケーションが取れる。

竹下結局、その事業はどうなったんですか?

加藤:うーん、どうなったんでしょうね(笑)。でも、その3年後くらいに、ニコニコくれっしぇんどの発表の時にその頃に出していた企画が一部入っていましたけど。

竹下開発の体制を見直している間は何をされていたんですか?

加藤:それで浜村さんに相談したら今度はeスポーツの立ち上げをやることになりました。それが本当に大変な新事業で、苦労の末に立ち上がったところでその企画から離れて、今度はボクが面白がれることをやっていいよ、と言われて『電ファミニコゲーマー』の企画に参加しました。

竹下それはどういった経緯で参加することになったんですか。誰かから手伝って欲しいと言われたんですか?

加藤:ちょうどeスポーツの事業を離れた頃に『電ファミニコゲーマー』の事業の話が社内的にあったんですよ。その時にその事業をやるっていう人たちがボクの机の隣とか後ろとかにいて、『電ファミニコゲーマー』の話をしていて、その時に『加藤さんもなにかやりましょうよ!』って言ってくれて、ボクも『全然やるよ!』ってOKして会議とかにも参加してたんです。それで彼らが何か変な肩書のついた半分冗談みたいな名刺も作ってくれて、『電ファミニコゲーマー』って面白そうだから手伝うよってなりました。

竹下『電ファミニコゲーマー』はどんなメディアだったんですか。

加藤:元々はキュレーションメディアだったんですね。『ファミ通』とか『電撃』とか『ニコニコ』とかのメディアの記事、情報をキュレーションして、あなたのスマホの中に入ってるゲームの情報を出しますっていうアプリのサービスだったんです。
それを聞いて『面白いじゃん!』って思って、その面白いサービスを知ってもらうためには、ファンを作ったほうがいいし、だったら『ニコニコ』でチャンネルとかやっていきましょうみたいな企画を立てましたね。
その『ニコニコ』のチャンネルでは『電ファミニコゲーマー』の宣伝番組を作って、編集長も出演して、ゲームの情報を週に1回くらい発信していこうって。
そしてその番組をボクだから少し笑えるテイストにしたいから番組名を『電ファミニコゲイバー』にしてゲイバーから生放送をしようって中継させてくれるゲイバーを探しました。でも全然、見つからなくて知り合いのつてを頼ったりもして、ようやく放送ができそうなところまではたどり着いたんです。
それでその『電ファミニコゲイバー』の企画を浜村さんの所に持っていったんですよ。そうしたら『その放送はいいから、加藤のチャンネル作ってそこでやってくれ』って言われて、ボクのチャンネルで番組を1年やりました。

竹下そのチャンネルは1年間の約束というか限定だったんですか?

加藤:いや、そのチャンネルを始めた時はとにかくおもしろいことをやってくれ、って言われて始めたんですが、その後、ニコニコのチャンネルをいっぱい集めて課金するっていうサービスを始めるからそれに向けて部署ごとの目標とする 有料会員数が割り振られました。
だから有料会員を大勢を集められる企画をやらなくちゃいけなかったんだけど、ボクのチャンネルは有料会員が集められなかったので終わってしまいました。
それでコスプレイヤーのチャンネルとかの番組をやっていたんですけど、それも半年で終了ということになって、そのあとも、コラボカフェの立ち上げとか、ECサービスの関連の立ち上げとか、ボクは半年ごとにまったく違うことをやっているし、そのやっている新規事業も結果が出るまでやらせてもらえないしってのが合わさってアスキー時代に『ファミ通』に入って以来、初めて転職を考えるようになりました。

自分のやりたいことだけをやるため
「ハナペン」を立ち上げたものの…

 竹下それでKADOKAWAを離れることになったんですね

加藤:はい。その頃にちょうど元TV局の知り合いから、ブロックチェーンの技術を使ったエンターテイメントのプラットフォームを立ち上げる企画の話が来ていたんですよ。
その新規事業の立ち上げから、プラットフォームを作ったあとに支援していくべきゲームの企画をクリエイターを集めてプロデュースしていくところまで、いっしょにやろうというお誘いがありまして。
新しい技術を使って、次世代型のクラウドファンディングの発展形を目指したっていうサービスです。
これをアジア全域で展開して、本社はシンガポールに作って出資を募って、プラットフォームの開発は中国で行う。もちろん日本のクリエーターにも参加してもらってゲームとアニメ、マンガに実写の番組とかも作っていくっていう事業でした。 それでその新規事業にTV局の人からその会社の役員になってほしいと誘われて、元々同世代の友人で、これはやりがいがあるサービスだな、とも思いましたし、大作のシリーズしか作れなくなっている日本のゲーム業界にとっても将来的にも必要だろう、と思いました。

竹下それでその会社に行かれたんですか?

加藤:実はその話以外にも、もうひとつ別の知り合いからメディアを立ち上げることになったんで、そこのアドバイザーをやってくれないかと頼まれたんですよ。
なら、このふたつの仕事を合わせれば給料は今より良くなるくらいだったし、それだけ貰えれば大丈夫かなって判断して、じゃあ辞めちゃえ~って(笑)。
そしてこのふたつの給料で家族は暮らしていけるから、もうひとつ本当に自分の好きなことができる会社を作ろうってことで、その二つの仕事とは別に『ハナペン』を立ち上げました。

竹下いよいよ『ハナペン』の立ち上げの話ですね。

加藤:『ハナペン』の立ち上げまでをちゃんと説明するとこんなところですね。
『ハナペン』は元々自分の会社を持ちたいと思っていて、そこでは自分の好きなことをやろうと思っていました。家族を食べさせるためじゃなくて、バカタール加藤が楽しいことをやりますよみたいな会社でいいじゃんと思って作りました。
…だったんですけど、とんでもないオチが付きまして。

竹下何が起こったんですか?

加藤:さっき言ってたブロックチェーンの会社が1年契約で、1年後に結果が出たら仮想通貨と交換できるトークンをボーナスとして出すって話だったんですよ。
でも、ボーナスどころか毎月のお給料が、数か月後に振り込まれなかったんです。それで理由を聞くと、夏に資金調達をした直後に仮想通貨の相場がガクッと落ちたんですね。そのせいで資金がショートしてしまって日本法人の縮小が決まったので、その会社を辞めざるを得なくなってしまい…。

竹下それでは、もうひとつのアドバイザーの仕事が保険になった感じですね。

加藤:それがなんですよ。ブロックチェーンの会社を辞めた1ヶ月後に今度はアドバイザーの仕事をしていた会社も初めて赤字を出しちゃって、新規事業関連の出費を抑えることになり、年内で契約終了になりました。
それで会社を辞めた半年後にはふたつの収入が絶たれてしまってもう頭を抱えて、こうなったら『ハナペン』で稼ぐしかない!ってなりました。『ハナペン』として自分の好きなことだけじゃなく、お金になる仕事をちゃんとこなしていかないと家族も自分も野垂れ死んでしまうぞ、ということになりました。

竹下その時点では『ハナペン』は会社として動いていたんですか?

加藤:会社自体はあったんですけど放置していました。
その頃、東京中日スポーツさんに毎月、寄稿していたのでその原稿料や、たまに声がかかってイベントに呼ばれた出演料とかニコニコの番組の出演料とかを振り込んでもらっていました。
そうやって貯まったお金でギターとか買っちゃうぞって思っていて、『ハナペン』から毎月8万円を給料という形でもらっていました。自分のお小遣いだけ稼げればいいかっていう会社だったんです。
だけど突然、この8万円で家族を食わさなきゃならなくなって、そうなった瞬間にヤバいなってなりましたね。ボクは会社を辞めた後もすぐに次の会社が決まってて収入もあったから、失業保険とかもらってないんですよ。ちゃんと調べずに適当にやっていて…。
これは言っておきたいんですけど、失業保険とか行政の支援とかは調べておいたほうがいいですよ。

竹下半年で環境が激変しましたね…。

加藤:はい、ホントにビビりました。それでも年末に中国のイベントに呼ばれて日本のゲームの話とか、日本のゲーム市場とかクリエイターの動向の話とかさせてもらったんです。それで北京の日本大使館で催された日中友好イベントとかにもなぜか呼ばれてしまってね。『捨てる神あれば拾う神あり』でこんなふうに中国のイベントに呼んでもらえるくらいなら、そこで人脈を作って、日本と中国との間で仕事をすれば、なんとか食べていけるかなと思ったんです。なので中国のイベントなんかにも『ハナペン』で出展して、こういう事もできますよって中国語で『ハナペン』のサイトを作ったり、言葉がわからなくても紹介できるように動画を作ったりもしました。それがちょうど仕事がなくなっちゃう頃でしたね」

 

 竹下それでサイトや動画の反響はありましたか?

加藤:おかげで中国の人ともやり取りがチョコチョコあって、相談とか受けたりしたんですけどもそれが全然、収入に繋がらなかったんですね。お金の話になる前に連絡が来なくなるんですよ。まあ、自分が甘かったんですが…。そんなことだらけでした。

竹下そんな中国でも評判を呼んだ『ハナペン』の紹介動画を作っているのがイノテレさんなんですけど、イノテレさんといえばHuluのCMで見たんですけど。

加藤:あれ、これハナペンの紹介ムービーっぽいぞ? っていう動画が流れてますよね!? HuluのCMを見てて、あれ? どこかで見たことあるぞってなりませんでした!? あれすごい似てますよね!?

竹下会社の全員であのムービーを見てて、それからしばらくして加藤さんがFacebookで野球のシーンだけアップしてて、なんでかなと思っていたらHuluのCMの中の動画で流れててこれか!と」

加藤:結構、地上波で流れてますよねあのCM。家でテレビを点けっぱなしで仕事してるんですけど、イノテレさんの声が聞こえてきてあれ?って。ハナペンの動画にも野球のシーンがあるじゃないですか。 あれにかなり似た動画が流れてて、イノテレさん、野球のネタが好きみたいで。たぶん西武ライオンズの応援動画なんかも作ってるからだと思うんですが。面白いですよねイノテレさん。

竹下だから今、ちょっと加藤さんがキテるのかなと(笑)

加藤:ボクじゃなくてイノテレさんがキテるんです(笑)。イノテレさん結構、色んな所で使われててローソンのからあげクンの動画とか練馬区のPR動画とか、大手企業や官公庁系のWeb動画などもけっこう手掛けているんですが、地上波は流石にやってなかったと思うな。今回は地上波でびっくりしました。

竹下あの動画は非常によくまとまっていてすごく面白くて、あれを見て加藤さんのプロフィールがわかるようなわからないような(笑)

加藤:わからないですよね(笑)。「ゲーム業界の人です。あとは加藤に聞けって」(笑)。ざっくりじゃーん。左利きだけしかわからない。あのセンス大好きで。じつは、さっきお話したニコニコの「バカタール加藤の世界で一番役に立たないゲームch.」のPR動画もイノテレさんが作ってくれたんですよ。

※こちらはバカタール加藤さんがユーザー生放送で配信をしていた番組。なんと、こちらのPR動画もイノテレさんが手がけているのだ!

イノテレさんYoutubeチャンネル:パラパラマンガ取材班[innocenceTV]

 竹下『ファミ通』編集長から『ハナペン』が立ち上がるまではお話いただいたので、今度は『ファミ通』時代の話をお聞かせください。『ファミ通』って長年、浜村さんが編集長だったじゃないですか?『ファミ通』の浜村さんってゲーム業界の人でもなかなか会えない人というイメージがあるんですけど、そんな浜村さんの後に編集長になったのは、どういう経緯だったんですか?

加藤:ぼくもずっと浜村さんを見て育ってきたんで、まさかあんな大変そうな仕事を自分がやることになるとは夢にも思っていませんでした。ボクが『ファミ通』に入ってきた時は、まだ浜村さんはヒラの編集だったんですけど…。<次回へ続く>

第2回『ファミ通』おバカ企画の思い出『アバタールへの道』と『ファミ部企画』

次回はバカタール加藤さんの『ファミ通』時代のエピソードと『ファミ通64+』編集長時代のエピソードを紹介します。

 

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