『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで - ガメモ

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで - ガメモ

『ファミ通』4代目編集長のバカタール加藤さん。鼻にペンを挿して写真に撮られ、『ファミ通』でゲームにかこつけたオモシロ企画が掲載されていればこの人の企画でした。そんな『ファミ通』時代のエピソードや『ファミ通』編集長から現在の合同会社「ハナペン」の社長になるまで何をしていたかをバカタール加藤さんに存分に語ってもらいました。 とても1回では収まらない内容なので特別に連載の形でお送りいたします。

加藤:うーん、どうなったんでしょうね(笑)。でも、その3年後くらいに、ニコニコくれっしぇんどの発表の時にその頃に出していた企画が一部入っていましたけど。

竹下開発の体制を見直している間は何をされていたんですか?

加藤:それで浜村さんに相談したら今度はeスポーツの立ち上げをやることになりました。それが本当に大変な新事業で、苦労の末に立ち上がったところでその企画から離れて、今度はボクが面白がれることをやっていいよ、と言われて『電ファミニコゲーマー』の企画に参加しました。

竹下それはどういった経緯で参加することになったんですか。誰かから手伝って欲しいと言われたんですか?

加藤:ちょうどeスポーツの事業を離れた頃に『電ファミニコゲーマー』の事業の話が社内的にあったんですよ。その時にその事業をやるっていう人たちがボクの机の隣とか後ろとかにいて、『電ファミニコゲーマー』の話をしていて、その時に『加藤さんもなにかやりましょうよ!』って言ってくれて、ボクも『全然やるよ!』ってOKして会議とかにも参加してたんです。それで彼らが何か変な肩書のついた半分冗談みたいな名刺も作ってくれて、『電ファミニコゲーマー』って面白そうだから手伝うよってなりました。

竹下『電ファミニコゲーマー』はどんなメディアだったんですか。

加藤:元々はキュレーションメディアだったんですね。『ファミ通』とか『電撃』とか『ニコニコ』とかのメディアの記事、情報をキュレーションして、あなたのスマホの中に入ってるゲームの情報を出しますっていうアプリのサービスだったんです。

それを聞いて『面白いじゃん!』って思って、その面白いサービスを知ってもらうためには、ファンを作ったほうがいいし、だったら『ニコニコ』でチャンネルとかやっていきましょうみたいな企画を立てましたね。

その『ニコニコ』のチャンネルでは『電ファミニコゲーマー』の宣伝番組を作って、編集長も出演して、ゲームの情報を週に1回くらい発信していこうって。

そしてその番組をボクだから少し笑えるテイストにしたいから番組名を『電ファミニコゲイバー』にしてゲイバーから生放送をしようって中継させてくれるゲイバーを探しました。でも全然、見つからなくて知り合いのつてを頼ったりもして、ようやく放送ができそうなところまではたどり着いたんです。

それでその『電ファミニコゲイバー』の企画を浜村さんの所に持っていったんですよ。そうしたら『その放送はいいから、加藤のチャンネル作ってそこでやってくれ』って言われて、ボクのチャンネルで番組を1年やりました。

竹下そのチャンネルは1年間の約束というか限定だったんですか?

加藤:いや、そのチャンネルを始めた時はとにかくおもしろいことをやってくれ、って言われて始めたんですが、その後、ニコニコのチャンネルをいっぱい集めて課金するっていうサービスを始めるからそれに向けて部署ごとの目標とする 有料会員数が割り振られました。

だから有料会員を大勢を集められる企画をやらなくちゃいけなかったんだけど、ボクのチャンネルは有料会員が集められなかったので終わってしまいました。

それでコスプレイヤーのチャンネルとかの番組をやっていたんですけど、それも半年で終了ということになって、そのあとも、コラボカフェの立ち上げとか、ECサービスの関連の立ち上げとか、ボクは半年ごとにまったく違うことをやっているし、そのやっている新規事業も結果が出るまでやらせてもらえないしってのが合わさってアスキー時代に『ファミ通』に入って以来、初めて転職を考えるようになりました。

自分のやりたいことだけをやるため「ハナペン」を立ち上げたものの…

 竹下それでKADOKAWAを離れることになったんですね

加藤:はい。その頃にちょうど元TV局の知り合いから、ブロックチェーンの技術を使ったエンターテイメントのプラットフォームを立ち上げる企画の話が来ていたんですよ。

その新規事業の立ち上げから、プラットフォームを作ったあとに支援していくべきゲームの企画をクリエイターを集めてプロデュースしていくところまで、いっしょにやろうというお誘いがありまして。

新しい技術を使って、次世代型のクラウドファンディングの発展形を目指したっていうサービスです。

これをアジア全域で展開して、本社はシンガポールに作って出資を募って、プラットフォームの開発は中国で行う。もちろん日本のクリエーターにも参加してもらってゲームとアニメ、マンガに実写の番組とかも作っていくっていう事業でした。

それでその新規事業にTV局の人からその会社の役員になってほしいと誘われて、元々同世代の友人で、これはやりがいがあるサービスだな、とも思いましたし、大作のシリーズしか作れなくなっている日本のゲーム業界にとっても将来的にも必要だろう、と思いました。

竹下それでその会社に行かれたんですか?

加藤:実はその話以外にも、もうひとつ別の知り合いからメディアを立ち上げることになったんで、そこのアドバイザーをやってくれないかと頼まれたんですよ。

なら、このふたつの仕事を合わせれば給料は今より良くなるくらいだったし、それだけ貰えれば大丈夫かなって判断して、じゃあ辞めちゃえ~って(笑)。

そしてこのふたつの給料で家族は暮らしていけるから、もうひとつ本当に自分の好きなことができる会社を作ろうってことで、その二つの仕事とは別に『ハナペン』を立ち上げました。

竹下いよいよ『ハナペン』の立ち上げの話ですね。

加藤:『ハナペン』の立ち上げまでをちゃんと説明するとこんなところですね。
『ハナペン』は元々自分の会社を持ちたいと思っていて、そこでは自分の好きなことをやろうと思っていました。家族を食べさせるためじゃなくて、バカタール加藤が楽しいことをやりますよみたいな会社でいいじゃんと思って作りました。

…だったんですけど、とんでもないオチが付きまして。

竹下何が起こったんですか?

加藤:さっき言ってたブロックチェーンの会社が1年契約で、1年後に結果が出たら仮想通貨と交換できるトークンをボーナスとして出すって話だったんですよ。

でも、ボーナスどころか毎月のお給料が、数か月後に振り込まれなかったんです。それで理由を聞くと、夏に資金調達をした直後に仮想通貨の相場がガクッと落ちたんですね。そのせいで資金がショートしてしまって日本法人の縮小が決まったので、その会社を辞めざるを得なくなってしまい…。

竹下それでは、もうひとつのアドバイザーの仕事が保険になった感じですね。

加藤:それがなんですよ。ブロックチェーンの会社を辞めた1ヶ月後に今度はアドバイザーの仕事をしていた会社も初めて赤字を出しちゃって、新規事業関連の出費を抑えることになり、年内で契約終了になりました。

それで会社を辞めた半年後にはふたつの収入が絶たれてしまってもう頭を抱えて、こうなったら『ハナペン』で稼ぐしかない!ってなりました。『ハナペン』として自分の好きなことだけじゃなく、お金になる仕事をちゃんとこなしていかないと家族も自分も野垂れ死んでしまうぞ、ということになりました。

竹下その時点では『ハナペン』は会社として動いていたんですか?

加藤:会社自体はあったんですけど放置していました。
その頃、東京中日スポーツさんに毎月、寄稿していたのでその原稿料や、たまに声がかかってイベントに呼ばれた出演料とかニコニコの番組の出演料とかを振り込んでもらっていました。

そうやって貯まったお金でギターとか買っちゃうぞって思っていて、『ハナペン』から毎月8万円を給料という形でもらっていました。自分のお小遣いだけ稼げればいいかっていう会社だったんです。
だけど突然、この8万円で家族を食わさなきゃならなくなって、そうなった瞬間にヤバいなってなりましたね。ボクは会社を辞めた後もすぐに次の会社が決まってて収入もあったから、失業保険とかもらってないんですよ。ちゃんと調べずに適当にやっていて…。

これは言っておきたいんですけど、失業保険とか行政の支援とかは調べておいたほうがいいですよ。

竹下半年で環境が激変しましたね…。

加藤:はい、ホントにビビりました。それでも年末に中国のイベントに呼ばれて日本のゲームの話とか、日本のゲーム市場とかクリエイターの動向の話とかさせてもらったんです。それで北京の日本大使館で催された日中友好イベントとかにもなぜか呼ばれてしまってね。『捨てる神あれば拾う神あり』でこんなふうに中国のイベントに呼んでもらえるくらいなら、そこで人脈を作って、日本と中国との間で仕事をすれば、なんとか食べていけるかなと思ったんです。なので中国のイベントなんかにも『ハナペン』で出展して、こういう事もできますよって中国語で『ハナペン』のサイトを作ったり、言葉がわからなくても紹介できるように動画を作ったりもしました。それがちょうど仕事がなくなっちゃう頃でしたね」

 竹下それでサイトや動画の反響はありましたか?

加藤:おかげで中国の人ともやり取りがチョコチョコあって、相談とか受けたりしたんですけどもそれが全然、収入に繋がらなかったんですね。お金の話になる前に連絡が来なくなるんですよ。まあ、自分が甘かったんですが…。そんなことだらけでした。

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次回はバカタール加藤さんの『ファミ通』時代のエピソードと『ファミ通64+』編集長時代のエピソードを紹介します。

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