『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第2回『ファミ通』おバカ企画の思い出『アバタールへの道』と『ファミ部企画』 - ガメモ

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第2回『ファミ通』おバカ企画の思い出『アバタールへの道』と『ファミ部企画』 - ガメモ

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第2回『ファミ通』おバカ企画の思い出『アバタールへの道』と『ファミ部企画』 - ガメモ

週刊『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤としてよく知られている加藤克明氏。前回のインタビューでは、週刊『ファミ通』の編集長を引退してから現在の合同会社ハナペンの代表になるまでの間、どんなことをしていたのかをお聞きしました。
そして連載2回目となる今回は、週刊『ファミ通』の編集時代に企画した数々のおバカ企画の中から「加藤克明」のWikipediaに載せて欲しい(※)思い出のバカ企画を中心に話していただきました。※加藤氏は対談時、wikipediaに書かれていることが「一面的すぎる!」とか「そこだけ?」と大いに不満を漏らしていました。

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  1. 1『ファミ通』が隔週発売だった頃に出会った伝説の人たち
  2. 2突然の連載企画中止で特集の担当に! そして生まれた『アバタールへの道』
  3. 3渋谷のスクランブル交差点でゲリラ撮影! 聖者への道はかくも厳しい
  4. 4その後のコラボ企画にも影響した赤と黄色の『ファミ通』Tシャツ誕生の秘密!!

■『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」バックナンバー

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで - ガメモのイメージ
『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで - ガメモ
『ファミ通』4代目編集長のバカタール加藤さん。鼻にペンを挿して写真に撮られ、『ファミ通』でゲームにかこつけたオモシロ企画が掲載されていればこの人の企画でした。そんな『ファミ通』時代のエピソードや『ファミ通』編集長から現在の合同会社「ハナペン」の社長になるまで何をしていたかをバカタール加藤さんに存分に語ってもらいました。 とても1回では収まらない内容なので特別に連載の形でお送りいたします。

ハナペン合同会社
加藤克明(バカタール加藤)


早稲田大学を中退した後、1990年にアスキー入社。『ファミコン通信』編集部に配属され、バカタール加藤のペンネームで誌面に登場し、読者の人気を得る。2000年に『ファミ通64+』の編集長に就任。2002年には週刊『ファミ通』編集長に就任。ポータルサイト『Walker47』編集長をはじめ多くの新規事業の立ち上げに力を尽くした後、2018年にカドカワから分社化、設立したGzブレインを退社、ハナペン合同会社を設立。現在はゲーム関連事業をはじめメディア・出版関連事業などを行っている他、「ハナペンニュース」というニュースサイトを運営し、ゲームや野球、激安居酒屋など自身が興味のあるニュースを配信している。

hanapen

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株式会社コンフィデンス 取締役
竹下和広

 

ゲーム業界黎明期のSNKに入社し、同社欧州事務所代表に就任。その後、サミー、アクレイム、イグニッション・エンターテイメント・リミテッドで海外での実績を重ね、2011年、スタジオマネージャーとして関わった『エルシャダイ』を発表。現在は、コンフィデンスでゲームのトータル・ソリューション事業に携わっている

『ファミ通』が隔週発売だった頃に出会った伝説の人たち

竹下『ファミ通』から今までをお話していただきましたので、今度は『ファミ通』時代の話をうかがいたいのですが、『ファミ通』って長年、浜村さんが編集長だったじゃないですか。『ファミ通』の浜村さんってゲーム業界にいる人でも会えない人というイメージがあるんですけど、そんな浜村さんの後に編集長にどういう経緯でなられたんですか?

バカタール加藤氏(以後、加藤):ぼくもずっと浜村さんを見て編集者として育ってきたんですね。ボクが『ファミ通』に入ってきた時はまだ浜村さんは何の役職にも就いていない普通の編集スタッフだったんです。

竹下加藤さんと浜村さんはどのくらい年齢が違うんですか?

加藤:年齢で3つ、学年で4つしか違わないです。ボクが『ファミ通』に入ったのは遅くて25歳くらいだったんですが、ボクが入った時には浜村さんは20後半くらいですでに『ファミ通』の中核を担う中心選手で、現場のまとめ役だったんですよ。なので、入ってすぐに浜村さんから、超分厚い「知恵蔵」を渡されて、「これ読んどいて!」って言われて。(これはwikiにも載ってます)

その頃の『ファミ通』はまだ『ファミコン通信』っていう名前で隔週発売の頃で、東府屋ファミ坊(塩崎剛三さん)が編集長だったんです。そして水野店長(水野震治さん)が副編集長で後は全員、ただの編集スタッフだったんです。

その後、『ファミ通』が週刊化される1年くらい前から準備のために2チーム制になり、その時に浜村さんが副編集長になるんですよ。塩崎さんが編集長で、水野店長と浜村さんが副編集長で、それぞれ青班、黄色班という2チームに分かれて、その2チームが交代で本誌を作るという体制になったんです。
その2チーム体制になった時にボクは浜村班だったんですね。実は浜村さんはボクが編集部に入った頃から「週刊化しよう!」って言ってる人で、当時からすでに「ファミ通はこうした方がいい」とか、ファミ通やゲーム業界の未来についても考えてるような人だったんですよ。

その後、水野さんは辞めてハワイに行っちゃって、塩崎さんは部長になって取締役になったので、浜村さんがあっという間に編集長になりました。

竹下 昔から浜村さんは「週刊化するんだ」と言っているのでしたら、実際に週刊化された時には発言力とかはあったんでしょうか?

加藤:「発言力があった」というか、当時のファミ通とかアスキーって全然会社らしくなくて、当時のゲーム業界はみんなそうだったけど、好きなことやりたい人が集まった同好会みたいな組織だったんですよ。

だから、発言力があったというより、すでに役職のない編集スタッフの時から、まわりのスタッフに指示を出したり、若いスタッフの面倒をみたり、と言っても浜村さんも20代だから、若いのって10代とか20代前半なんですけど、組織全体のことを考えたりしているような珍しい人でした。それでいて、仕事量も圧倒的に多い、スーパー編集者でしたよ。

まあ、他の人はみんな自分が面白いことをやりたい、っていう人ばっかりだったので(笑)。ノリとしては大学の同好会のリーダーですよね。当時の『ファミ通』は、一番偉い人でも30代になったかどうか、くらいの組織だったんで。

それで、水野さんは、ふわふわーっとしてて楽しくやってる人だったんで、楽しくみんなをまとめてくれる人でした。初期の頃の、あの『ファミ通』の独特のノリの中心にいた人です。
そのふたりがそれぞれ現場を廻すようになって週刊化に向けて準備してる時に、毎月、本誌2冊と増刊号1冊の3冊を2チーム制で作るという移行期間があって、その時に特に増刊号は特集で売るぞ! みたいな実験があり、その後の週刊化以降の、特集主義みたいなところにつながっていくんです。

突然の連載企画中止で特集の担当に! そして生まれた『アバタールへの道』

竹下特集で売るって話になった時、加藤さんは最初から特集の担当になりたいって手を上げたんですか?

加藤:週刊化する時にボクが担当するはずだったコーナーが、実は「堀井雄二さんがゲーム業界の人と対談するコーナー」だったんです。

たぶん塩崎さんが堀井さんにそういうコーナーへの協力をお願いしていたと思うんですが、それがメインの担当記事だったので後は占いコーナーと各号ごとの企画で、それとハガキとかもやっていたのかな。

そんな感じの割り振りだったんですけど、週刊化になる時に堀井さんの企画がポシャっちゃったんですよ。そりゃあ無理でもしょうがないですよね。堀井さんは相当お忙しい人だし、当時でももう偉い人なんですから
それで定例で担当するコーナーが超軽くなっちゃったので、浜村さんに、毎号特集とか企画記事を振ってくださいってお願いしたんです。

ちょくちょ特集記事を担当させてもらうようになって、その中で固めの記事でも少し笑える要素を入れたりくとか、16ページの大特集班に入らない時は4ページくらいの企画記事を振ってもらったりするようになって、少しおバカ要素を入れたりっていう感じだったんです。
最初は、じつはなかなかおバカなことはやらせてもらえなかったんです。もっとおバカな諸先輩方が大勢いたんで(笑)。

だから、企画会議ではまじめな企画も出してましたけど、必ずおバカな企画をいくつも出して、「おバカ企画やらせて」アピールをしてたんですよ。

そんな流れの中でWikipediaにも載っている渋谷のスクランブル交差点でこたつに入っている写真を撮るっていう企画をやったりしてたんです。今だと逮捕されるらしいんですけど(笑)。
これは本当に京大生が逮捕されたニュース(※)が出た時に京大生に謝りに行こうと思いましたもん。ボクのせいかもしれないからって(笑)。

※:交差点にこたつ置き鍋、京大院生の男を道交法違反容疑で逮捕(産経新聞)

渋谷のスクランブル交差点でゲリラ撮影! 聖者への道はかくも厳しい

竹下そもそもあればどういう経緯で出てきた企画なんですか?

加藤:これはどういう企画だったかって言うと「こたつ百景」っていう企画だったんです。すごいバカ企画なんですけど、こたつって日本人の心だからそれが今、クリーンヒーターとかに押されているのは良くない。もっとこたつを広めようっていいながら、世の中のいろんなところでこたつに入って写真を撮って載せたらおもしろくない? っていうただそれだけの企画だったんです。

竹下あの企画って「アバタールへの道」の企画のひとつでしたよね?

加藤:よくご存じで! でも、最初はアバタールとは関係ない企画だったんですよ。ボクは必ず毎回、企画会議のその場でウケればいいや、っていう企画を出してたんですね。「ナニコレ?くだらない!」って言われるような企画を絶対出していて、そのうちの1個だったんです。

それが気がついたら台割に入っていてびっくりしたんです。

「こたつ百景」が通ってるマジか!?って。それならこれまで「アバタールへの道」っていう企画を何ヶ月かに一回やっていたので、じゃあアバタールの出番だな、ってなってなりました。で、そういう4ぺージのラフ(※)を出したら、「ゲームに関係ないからダメ!」って言われて、むりやりこたつとゲームを絡めることになって、家電メーカー各社に電話してこたつのカタログを取り寄せて、このゲームを遊ぶならこのこたつ! っていう紹介をしたり、史上最強のこたつっていうイラストネタも入れたりして、わけのわからない4ページになってましたね(笑)。

この「アバタールへの道」っていう企画はどんな企画かって言うと、ボクがゲームの「ウルティマ」(特にファミコンの「2」)が大好きで、「ウルティマ」に登場する聖者「アバタール」が現代の日本にいたらどんなことをして世の中の人々を助けてくれるのかっていうのを実際にやってみる、という企画だったんです。今思えば、コスプレ企画の奔りですね。

「こたつ百景」は、そのアバタールが三洋電機さんにこたつを借りに行くところから始めて、こたつを三洋電機の広報さんから受け取って一緒に写真を撮りました。

※ラフレイアウトのこと。誌面と同じサイズのレイアウト用紙に(概ね)鉛筆で、記事タイトルやキャッチコピー、本文の位置、写真の位置などを書いて、どのような記事にするのかを示した、記事制作の土台となる下書きのようなもの。『ファミ通』編集部では、このラフレイアウトを当時は副編集長がチェックして、OKが出ないと、デザインの発注、原稿の執筆など具体的な記事制作に入れなかった。

竹下そのこたつは貸してもらえたんですね(笑)

加藤:その頃の日本の企業さんはみんな「いいっすよー!」って言ってくれましたね。その頃の広報とか宣伝の人たちってそんな人ばっかだったんですよ。

「おもしろいじゃないっすか。どうぞどうぞ」みたいな。「それ使ったらあげますから」って言われて、そのもらったこたつをお金のないバイトに「こたついる?」って聞いて渡したりしました。うまく世間が回っていた時代でしたね。おもしろいことやってメーカーさんも宣伝になるからいいよいいよって。普通にいい時代でした。バブルで宣伝費とかもガンガン使っていた時代だったのかも、ですね。

竹下それじゃあスクランブル交差点で撮影した時は、そんなバカなことやって問題にならなかったんですか?

加藤:こたつの記事は色々なところでゲリラ撮影だったんですけど、まあアバタール企画は大半がゲリラ撮影が多い企画でしたけど、問題になった記憶はないですね。

スクランブル交差点で撮る時も3人がかりくらいで、信号が青になった瞬間にダッシュしていって、こたつ本体と布団と天板を持ってパンパンパンって置いて、「入れ!」って言ってボクが写真を撮る。そして信号が点滅したら撤収して。今の2、3枚くらいしか撮れてないからもう1回、行くぞって。もし、見つかったとしても文句を言ってる暇がないくらいの早業だったと思います。あのスクランブル交差点での撮影は青信号2回分くらいで終わってるんで。
そういえばあの撮影の時、実はボクはカメラマンで、バイトにアバタールの格好をさせて写真を撮っていたんです。自分でアバタールをやる場合もあるんですけど、おおむねボクがプロデュースしてるから現場を仕切らなきゃいけないのでバイトに「お前、明日ロケ行くからこの(アバタール)格好してね」ってお願いして。

なので「アバタールへの道」は新人バイトを鍛える企画という意図もあって、『ファミ通』でいろいろな企画やコーナー担当をやっている人は大体、バイト時代にアバタールの中の人をやっています。ルパン小島とかカミカゼ長田とかポルノ鈴木とかトマト杉原とか、あのへんの人たちは、みんな一度はアバタールをやってるはずです(笑)。

その後の「アバタールへの道」もずっとこんなんですよ。工事現場で休憩してるおじさんにお願いして重機に乗せてもらって写真を撮ったり、アバタールの格好でハンバーガーを買いに行かせて外から撮るとか。そんなことばっかりやらせていたんですけど、それで問題だって言われたことはないですね。あと電車にもアバタールの格好でそのまま乗っていましたね。

その後、アバタールのチャリティーオークションっていうむちゃくちゃな企画もやりました。これはアバタールっていうハンコを作って、アバタール名義の銀行の口座をアバタール自身が作りにいくところから始めましたね。その後、ゲームメーカーのお手伝いをして、ゲームメーカーからもらったレアグッズをオークション販売して、集まったお金を赤十字までアバタールが持っていって、赤十字の人から賞状をもらう、というところまでやりましたね。

その後のコラボ企画にも影響した赤と黄色の『ファミ通』Tシャツ誕生の秘密!!

竹下そんな今なら不可能な企画だった『アバタールへの道』以外で印象に残ってる企画って他にありますか?

加藤:これWikipediaになんで載ってないんだ!?っていうのがいくつもあるんですが、そのひとつが『ファミ通部数倍増大作戦』っていう通称『ファミ部企画』ってやつです。

この『ファミ部企画』は『ファミ通』のTシャツを作って読者に着てもらって宣伝してもらう企画です。このTシャツがメチャクチャ目立つ真っ赤なTシャツで、その背中にでっかく黄色の文字で「フ」「ァ」「ミ」「通」って書いてある4種類のTシャツを、希望者4人組に渡して『ファミ通』を読者に宣伝してもらうって内容だったんですよ。

一番最初は4ページくらいの募集記事だったんですけど「ファミ通部数増大作戦部員募集!」みたいなことをやったら、ピアニストの方がそのTシャツをコンサートで着てくれるって応募してきてくれて、やったらぜひ写真を送ってください本誌に載せますからって、ホントにコンサートで着てくれたり、、他にもいろいろな人が応募してきてくれて、その後、読者に送ったTシャツを読者が目立つところで着て、それを写真に撮って送ってくれたら誌面に載せて、ガバスをあげるっていう企画でした。

この企画は結構ずっとやっていて、『ズームイン!!朝!』(※)の後ろの方に映っていた! とか、一般人が参加するクイズ番組に着て出る読者がいた! とか、社内的には「なんだあの企画は?」って言われてて、広報からも「加藤さんあんな企画をやって大丈夫ですか?」とか心配されるくらい社内的にもなんかザワザワした企画でしたね。

※日本テレビ系列で2001年まで放送されていた朝の情報番組。生放送でスタジオの後ろがガラス窓になっていたため、一般の視聴者がガラス越しにカメラに映り込むことができた。

あのTシャツはお笑いコンビ「ザブングル」の加藤さん(カッチカチのほう)とかも着てくれたりしたみたいですが、着たいとか欲しいっていう人が徐々に現れてきて…。それでボクも色んな人にTシャツを配ってて、あの伝説のミュージシャンの忌野清志郎さんとか、海外の著名人とか、クリエイターとかにも渡したんですよ。

その『ファミ部企画』で一番すごいことをやったのが、企画の総仕上げバージョンとしてやった企画です。

それは東京ドームの巨人戦の外野席のチケットを100枚くらい手配して、その席に読者を『ファミ通』のTシャツを着せて招待してホームランが飛んできたら『ファミ通』のTシャツがたくさんテレビに映って、めちゃくちゃ目立つんじゃないか!? っていうむちゃくちゃな企画でした。『ファミ通』本誌で告知してドームの外で待っていて、読者が来たらTシャツとチケットをセットで配って東京ドームの外野スタンドに招待しました。

竹下それで『ファミ部』のTシャツは中継に映ったんですか?

加藤:その試合でたしか高橋由伸がホームランを打ったんですけど、一瞬、一人か二人がかろうじて映ったんじゃないかな、っていうくらいでした。よく考えたらひとりだけ映って真っ赤なTシャツに「フ」とか書いてあってもよくわかんないんですけどね(笑)。「うわ! 映った!!」みたいなそういう、くだらなさがありました。企画ページではそういうことをやって喜んでいましたね。

竹下その『ファミ部企画』の時は編集長だったんですか?

加藤:その時は副編集長だったかな? こんな企画を編集長がやってたらヤバいですよ(笑)。だから副編集長かデスクの時ですね。

竹下それでは編集長時代のエピソードを教えていただけますか。楽しかったり、大変だったりした思い出を教えて下さい。

加藤:その前に一番最初の質問に戻って、なんで『ファミ通』の編集長になったのかって話をしますね…

予告では『ファミ通64+』編集長時代のエピソードも紹介するはずが、『ファミ通』時代の思い出のボリュームが多すぎて、それだけで終わってしまった『バカタール加藤さんインタビュー』第2回。近日公開の第3回は任天堂ハードの専門誌『ファミ通64+』編集長時代のエピソードを紹介します。

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