『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第3回『ファミ通』副編集長から『ファミ通64+』の編集長へ! 副編集長と編集長の違いとは!?

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤としてよく知られている加藤克明氏。前回のインタビューでは、『ファミ通』の編集時代に企画した数々のおバカ企画について語っていただきました。そして連載3回目となる今回は、『ファミ通』副編集長時代のエピソードと『ファミ通64+』編集長時代のエピソードを語っていただきました。

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第2回『ファミ通』おバカ企画の思い出『アバタールへの道』と『ファミ部企画』

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第1回『ファミ通』編集長から自分の会社『ハナペン』を立ち上げるまで 

ハナペン合同会社 加藤克明(バカタール加藤)

早稲田大学を中退した後、1990年にアスキー入社。『ファミコン通信』編集部に配属され、バカタール加藤のペンネームで誌面に登場し、読者の人気を得る。2000年に『ファミ通64+』の編集長に就任。2002年には『週刊ファミ通』編集長に就任。ポータルサイト『Walker47』編集長をはじめ多くの新規事業の立ち上げに力を尽くした後、2018年にカドカワから分社化、設立したGzブレインを退社、ハナペン合同会社を設立。現在はゲーム関連事業をはじめメディア・出版関連事業などを行っている他、「ハナペンニュース」というニュースサイトを運営し、ゲームや野球、激安居酒屋など自身が興味のあるニュースを配信している。

 

 株式会社コンフィデンス 取締役 竹下和広

ゲーム業界黎明期のSNKに入社し、同社欧州事務所代表に就任。その後、サミー、アクレイム、イグニッション・エンターテイメント・リミテッドで海外での実績を重ね、2011年、スタジオマネージャーとして関わった『エルシャダイ』を発表。現在は、株式会社コンフィデンスでゲームのトータル・ソリューション事業に携わっている。

 

 

 

 

 目次

『ファミ通』副編集長に就任! 編集長と副編集長の仕事の違いとは!?

 やりたいことの前にやるべきことを『ファミ通64+』編集長に就任

『ファミ通64+』編集部で学んだこと「編集長ってこういうことなんだ」 

 

『ファミ通』副編集長に就任! 編集長と副編集長の仕事の違いとは!?

竹下そんなおバカ企画で読者を楽しませながらも『ファミ通64+』の編集長を経て『週刊ファミ通』の編集長になったわけですが、編集長時代のエピソードを教えていただけますか? 楽しかったり、大変だったりした思い出を教えて下さい。

バカタール加藤氏(以後、加藤):一番最初の質問に戻ると、なんで『ファミ通64+』と『週刊ファミ通』の編集長になったかって話をします。
まずボクは『ファミ通』でスタッフから副編集長になったんですけど、ボクより前に副編集長になってる人はいっぱいいたんですね。それこそニュースをまとめてたり、スクープをまとめてたり、色んな人達がボクより前に『週刊ファミ通』の売上を左右してるような副編集長やスタッフたちがいたんですよ。ボクは特集とかは一生懸命作っていたけど、バカなことをやってる人だったんで、副編集長というような役職には縁がないと思っていました。

当時の『週刊ファミ通』はいくつものチームに分かれていたんですけど、僕より後から入って先に副編集長になってる人たちが何人もいたんで、その中でもボクは後から副編集長になったんです。だから、当時はその副編集長になったことすらびっくりで「オレって副編ってタイプじゃないでしょ!?」みたいに思っていました。自分が〆切りを守れてないのに「〆切りを守れ」なんて言えないですよね(笑)。
でも企画ページでバカをやってる一方で、ボクは新人バイトが入ってきたら、誰よりも先に新人とご飯に行って『週刊ファミ通』での仕事の仕方を教えたり、「がんばれよ」って励ましたり、アルバイトの相談に乗ったりしてたんですね。まあ、自分がおせっかいというか、バイトをいじりたかっただけなんですけど。あと、自分が新人の時にそういう先輩がいて、すごくありがたかったし、そういう人がいなかったら、心細くて自分は何もできなかったし、もしかしたらとっくに辞めていたんじゃないかな、ってどこかで思っていて。

そんな中で、バカなことをやっているボクが「副編集長になれ」って言われたのは、こんなボクでも一生懸命に作ってきた大好きな『週刊ファミ通』のためにできることはあるだろうと思って、だから精一杯やろうと思って副編集長を引き受けました。
それで副編集長になっても特集を担当することは多かったし、特集のクオリティをちゃんと上げるように、現場にちゃんとにらみを利かせたり、ヤバそうな企画は前もって動かしたり、確認したり、というところを気をつけていました。

 竹下その頃は浜村さんは編集長以外の仕事も忙しかったと思いますが、編集長と副編集長ではやはり役割は大きく違うものですか?

加藤:副編集長としての仕事を続けていても『週刊ファミ通』の編集長にはなれないです。『週刊ファミ通』の副編集長のやっている仕事と『週刊ファミ通』の編集長の仕事にはすごい隔たりがあるんですよ。根本的に違う仕事なんです。
『週刊ファミ通』編集長は、本誌だけじゃなくて業界の顔として多くのメーカーと交渉して、何が『週刊ファミ通』にとってベストかを判断しなくちゃいけないんです。予算も見なくちゃいけない。
当時はそんな事できるわけないし、自分はどっちかというと「やりたくないし」って思っていました。でも、結局副編集長を3年くらいやっていましたが、副編集長の仕事が別の意味でものすごく大変だったんです。
当時の編集長だった浜村さんは、毎日、校正のゲラを誰よりも早く見て、夕方までに修正が必要な箇所に付箋を貼って、副編集長にバーンって返してメーカーとの打ち合わせとか偉い人たちの会議とか接待とかに行っちゃうんですよ。社長だったし。

それでも浜村さんはきっちり見ていて、気になるところは後から確認の電話を掛けてくれたりするんですけど、現場の校了にはいないんです。発売される『週刊ファミ通』の各担当とかデスクとかチェックする人間とスタッフやライターとかと校了するまで徹夜で付き合うのは副編集長なんです。それを3年やっていたら体力的にも精神的にもヘロヘロになりました。『週刊ファミ通』のクオリティを下げるわけにはいかないし、面白くなくちゃいけないというのがあるから。そういうプレッシャーというか激務でボクは副編集長になってから7Kgくらい痩せました。当時は「副編ダイエット」って自分で言ってましたね。
でも、副編集長の仕事は仕事で充実してましたけどメチャクチャ疲れてて、1週間ほぼ泊まり込みで本誌を作ると次の1週間は抜け殻になってるんです。そしてまた次の1週間は泊まり込みで作業してって…その繰り返しを3年間…。

やりたいことの前にやるべきことを『ファミ通64+』編集長に就任

 竹下そんな大変なお仕事を続けていた『週刊ファミ通』の副編集長から『ファミ通64+』の編集長になられましたけど、それはどのような経緯でなられたんですか?

加藤:こんな大変なことをずっとやるのは無理でしょって思ってた時にちょうど、『ファミ通64+』っていう月刊誌の編集長が編集長職を退任するので、替わりに編集長にならないかという話が来たんですよ。
その『ファミ通64+』っていう雑誌は創刊時から雑誌としてはいろいろなチャレンジをしていて、自分もとても気になっていたんですね。ユニークな企画や凝った記事をやってて、デザインも凝りまくっていて、今までのゲーム誌にはないオリジナリティとセンスがあったんです。
でも、それが1年間でどんどん部数が下がっていって、かっこいいことも面白いこともやってるけど読者に響いてなかったんですね。
副編集長の仕事で肉体的にも精神的にもヘロヘロになっていたし、その中で、結局副編集長の仕事って、編集長というトップが考えることと現場のスタッフができることをいかにすりわせるか、調整できるか、っていうことがメインだということがよーくわかってしまっていたので、「オレが思っていることをやりたい」っていう気持ちがすごく強くなっていて、「編集長って自分のやりたいことをやっていんだよね?」って思ったら「やりますやります! ぜひ!」みたいな感じでためらいなく手を上げましたね。ボクとしては「副編集長より編集長のほうが面白いに決まってるじゃん」って思ってたんです。でも、社内的には逆の意見の人が多かったんです。
そのころ『ファミ通64+』は売上が低迷していて、社内のみんなからは「立て直しは大変だし、給料が下がるかもしれないから、週刊に残ったほうがいい」って言われました。だけど週刊で副編集長を続けるより、編集長になって立て直したほうが絶対におもしろいという確信があったので『ファミ通64+』に行く決心に迷いはありませんでした。結局は、そこで編集長をやったことが『週刊ファミ通』の編集長になれた理由だと思います。

竹下『ファミ通64+』で編集長になってどんなことをされたんですか? 売上げが下がっていたとおっしゃられてたんですけど。

加藤:そこでまずやったのは赤字削減のための予算の見直しです。予算の管理なんかしたこと無いんですけど予算や経理の業務をしている人たちに聞いて徹底的に見直して、原稿料やデザイン料の見直し、紙や印刷代などの原価の見直し、社内配賦など経費の見直しなど、広告のプラン等も見直しました。その上で申し訳ないんだけど人員も多すぎたので整理しました。
そして予算以外にももちろん、本誌のリニューアルもやりました。その頃『ファミ通64+』がどういう状態だったかというと、NINTENDO64自体の販売台数が頭打ちだったから市場的にはどの雑誌も部数が落ちていたのは確かでした。それでも『ファミ通64+』が最初に増刊号として発売した時には十何万部くらい売れていたんです。それが立ち上げて1年後には1~2万部台くらいまで落ち込んでいたんですね。
これには絶対、理由があるはずだって。それで『ファミ通』なのになんでこんなに他誌に負けてんの?って。これは『ファミ通』のメンツにかけて他誌より売れなくちゃいけないっていう使命に燃えてもいたんだと思います。

最初の編集会議で次からは編集長が加藤になるからって発表されるじゃないですか。その時にスタッフ全員から当たり前ですけど、外から来たよそ者扱いで、すごく敵対的なことを言われました。
『ファミ通64+』は面白いしかっこいい、スゲー、イケてるって、みんなが面白がって作ってる雑誌だったんで、どこをどう変えるのか!?って、クロスレビューを始めるんですか?とか、『ファミ通』みたいにするんですか?とかすごい言われたんですよ。それでやりたいこととか、やらなくちゃいけないこととかは、これからみんなで考えて決めていこうよって言いました。他誌の部数とか、経費や売上の数字も全部見せました。

竹下でも『ファミ通64+』でクロスレビューをやられましたよね。

加藤:やっぱり始めましたよね。それってニーズがあるんじゃない?って。
なぜクロスレビューを始めたのかっていうと『週刊ファミ通』だとNINTENDO64とかPlayStationとか機種の垣根を超えてレビューを書いてるから専門誌とは目線が違うんですよ。NINTENDO64とかゲームボーイのファンへの目線とゲーム業界全体の中での評価をしている目線って違うじゃないですか。
きっと任天堂のハードに対するレビューっていうのがあるはずだから、『週刊ファミ通』本誌と目線が違うからこのレビューには意味があるし、やるべきだし、任天堂ハードの専門誌としてのレビューがあるのではと思いました。
これももちろん、スタッフのみんなと話し合って決めました。
もちろん、やりたい企画があったらどんどん上げて欲しいと言いました。その上で雑誌の販売部数やアンケートの結果も見ていこうよ。それで人気がなかったら、その企画は止めようとも言いました。
それからスタッフに他誌を読んで勉強してるのって聞いたら、毎月同じ売場に並んでるライバル誌なのにスタッフは誰も他誌を読んでなかったんです。自分たちの好きなことをやっていて他誌と比べてなかったんですよ。そりゃ他誌に負けるでしょって思いました。
それで他誌と比べ始めたら負ける理由が山ほど出てきてそれをひとつずつ潰していきました。そして負ける理由を潰していく過程で、任天堂の担当とケンカしたりもしました。今、思えば30代で頭に血が上っていたからとはいえ、あの任天堂とよくケンカができたなって思いますね。今考えると若いって恐ろしいですね…(笑)。

 竹下任天堂のハードの専門誌で任天堂とケンカしたんですか!? 

加藤:ケンカっていうか、文句を言ったりしてたかなぁ(笑)。でも、僕は任天堂さんにはすごく恩があるんですよ。
それはボクが編集長になってすぐの時にゼルダの増刊号を出させてくれたんです。たぶん、ご祝儀だったと思いますけど。それが完売して、スタッフのみんなが加藤さんの言ってることをやると意外と売れるかも…みたいなマジックにかかり始めるんです(笑)。ほかにもじゃあ、もっといろいろ提案してみよう、ってOEMを提案したり、いろいろやらせてもらったんです。本当に助けてもらいましたし、ロケでもマリオの着ぐるみを借してもらったり、いろいろなことをやらせてもらいました。恩しかないです。

それから、その頃のNINTENDO64で売れていたのはポケモン、ゼルダ、マリオ、パワプロだったので、担当は他誌と見比べて記事の内容が勝ったか負けたかを毎号見て報告してくるようになったんですよ。『ファミ通』は他誌と比べて内容で勝たないとダメ。負けてたら「フザケンな! なに負けてんだよ!」ってスタンスなんですよ。

そうなってくると、「パワプロ」って64ユーザーがみんな買うけどどうすんの?って担当に聞いたら「100ページの付録を付けましょう!」って言うわけです。それを聞いて「よしっ!」ってなったんですけど、その100ページの付録を作ろうと言ったのは数ヵ月前まで編集の「へ」の字も知らなかった、若いアルバイトなんです。そいつが、他誌に勝つために100ページの付録つけましょう、って言ったら、お兄さんたちももう、じっとしてられないじゃないですか。だからみんなで協力して「バイトがやっべぇ本を作るぞ!」って言って手伝ったり、その号は案の定専門誌で一番売れたんですよ。それに負けじと俺は増刊号作ります、っていうやつも出てくるんです。

そんなことが起きてきて、社内的にも『ファミ通64+』がすごいいい感じになってきてるぞって空気にちょっと変わってきたんですよ。あれだけ売れてなかった本が1年間やってきて億の赤字から黒字まで見えてきたって。
たった1年なんですけど、その時の『ファミ通64+』チームが、ボクの編集長としての原点なんです。自分で言うのもなんですが、本当にものすごくいいチームになったんですよ。それで来年はゲームボーイアドバンスが発売されるからこのまま行けば専門誌の天下を取れるってところまで見えたんです。もちろんスタッフのみんなも天下を取る気になっていたんですよ。その編集部の雰囲気を浜村さんが見てたんでしょうね。
そんな時に浜村さんから「週刊に戻ってこい」って言われたんですよ(笑)

竹下竹下:せっかく『ファミ通64+』で天下が見えてきたのに!?

加藤:そうなんです。それでその時に浜村さんから「『ファミ通64+』のチームはすごいいいチームだから愛着もあるだろうし、だから兼任な」って言われて「兼任すかっ!?」って(笑)。
『ファミ通64+』の編集長のまま『週刊ファミ通』は編集長代理でってどんだけ大変なんだよって思っていたら、浜村さんからその代わりファミ通64+の編集長代理に水ピン(水間勇一)を出すから、彼に現場を仕切らせろっていうことになりました。それでボクと入れ替わりに水ピンが『ファミ通64+』に行って、ボクは『週刊ファミ通』に戻ってきて編集長席を作ってそこに座ることになりました。

『ファミ通64+』編集部で学んだこと「編集長ってこういうことなんだ」  

竹下そんな経緯で『ファミ通64+』の編集長を経て、『週刊ファミ通』編集長代理になったんですけど、『ファミ通64+』時代に編集長の仕事として印象に残った経験とかありますか?

加藤:1年間しか結局『ファミ通64+』では編集長をやってないんですけど、『ファミ通64+』という小さい編集部だったから「編集長ってこういうことなんだ」っていうことを一から学ばせてもらったので、すべてが貴重な経験でした。
『週刊ファミ通』の編集部ってスタッフがそれこそ70人とか80人とかいるんですよ。その中のトップにはいきなりはなれないですよね。
小さい部署で1年間、予算やマネージメントをして部下の評価もして、他部署とかとのやり取りとか広告費の使い方とか、外部からの取材対応とかそれを受けて、自社のブランドのために外に出ていこうとかそういうことをひと通り学びました。
その時に広報とか営業とか広告部とか業務部とか社内の他の部署の人ともやり取りもすることになって、そういうことを全部やらないと週刊誌の編集長なんかなれっこないんですよ。週刊誌は宣伝費だけでもとんでもない額が動いていたりしてるんで、それをマネージメントのド素人が使えるわけがないんですよ。
そういう意味では、『ファミ通64+』で予算削減とやりくりを経験したことで『週刊ファミ通』の予算の見え方が変わってきて、お金のない辛さを身に染みてわかったからこそ『週刊ファミ通』の予算をちゃんと見られるようになったんだと思います。泥臭いことを経験した上で『週刊ファミ通』を見るっていうのを経験させてもらえたと思います。

竹下『週刊ファミ通』では編集長代理からはすぐに編集長になれたんでしょうか?

加藤:1年間は編集長代理でした。でも現場の編集部にはボクしかいないんで実質、編集長みたいなものなんです。 代理になったときからゲームメーカーに浜村さんと挨拶に行って、浜村さんは編集長でボクは代理だったけど、社内の会議では浜村さんは社長の立場で「次の号の部数は何部にするのか?」とか聞いてくるんで、僕が「何部にします(したいです)」って答えるわけです。

でも逐一、浜村さんには相談するし、やり取りもするしミーティングもするんだけど、編集長として営業と相談して「次は何部でいこう」って会議で言うのは自分なわけです。予算会議でも自分が同じように編集長として発言するわけです。

それを1年間見て、1年後にやっと代理が取れたというわけです。<次回へ続く>

 

『ファミ通64+』の編集中を経て、『週刊ファミ通』の編集長代理となったバカタール加藤氏。次回のインタビュー最終回では、いよいよ『週刊ファミ通』編集長時代のお話と『週刊ファミ通』の人気コンテンツ「クロスレビュー」について語っていただきます。

『ファミ通』4代目編集長バカタール加藤が語る「あの頃」第4回『ファミ通』編集長になって変えたこと。当時の編集体制やクロスレビューをこう変えた

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