【ゲームプロデューサーを目指す学生がクリエイターにインタビュー】 企画に異動して経験した失敗、小山順一朗#2

前回のまとめ
小山さんが、ナムコにメカエンジニアとして入社してから7年。
課長になったころに企画に転向しないかと打診され、これまでの積み重ねとの天秤に悩むも本当にやりたかった「人を驚かせること」をするために企画職へ。
小山順一朗31歳、企画職一年生
小山様(以下、小山と表記)「企画に行くと、ゲームの作り方を一部しか知らないので指揮なんてできない。そんなことも知らねぇのっていうことは、教えてくださいって言いながら覚えていくわけです。」
メカエンジニアからゲームセンター部門の企画職へと異動した小山さん、当然ながら企画の経験は他のメンバーより少ない状態でのスタートとなる。
企画の中でメカエンジニアとしての7年間を活かすにせよ、企画としての経験や能力は求められる。そのため、既に企画として経験を積んできた人たちに追いつく必要があった。
訪れる危機とチャンス
1999年に企画職へと異動してすぐの2000年。ゲームセンター業界に危機が訪れた。
プレイステーション2の登場だ。
販売台数が1億5500万台以上となった革新的ハード。現在のニンテンドースイッチの販売台数が1億5000万台であることを考えれば、その普及率の高さにも想像がつくだろう。
これによってゲームセンターのグラフィックを家庭用ゲーム機のグラフィックが上回るという現象が起き始めた。
ゲームセンター部門に逆風が吹く時代に、小山さんにとってはチャンスが訪れる。
小山「会社からここの部署はもうすぐやばくなるから、どんなアイディアでも持ってきたら商品化してやるぞ、若手の小山でもいいぞ、ということで社長直々に120%委員会というのが作られます。」
他社のヒット作品を見て、それを早い・安い・旨いで120%上回れば商品化するというもの。早く作る。100万円の企画であれば、80万円で。参加者の声が面白かったらそれを120%上回るといった具合の条件だった。
─── その話を聞き真っ先に感じたことは「そんな簡単に達成出来たらとっくに儲かっているだろう」。特に面白さで上回ることが簡単ではないことは、業界での業務経験が無い私でも想像に難しくはありません。
安く・早いゲーム制作の結果
小山「はい、でも何かで120%上回ればいいって言われたので安く早く仕上げちゃいます。」
言葉の通り、小山さんたちは安く・早くを軸にゲームを制作したそうだ。それで出来上がったゲームの数々の結果を尋ねると......
小山「ギターのゲームだったり、なんでやねんとかツッコミとボケのゲームとか変なゲームをいっぱい作ったわけです。その結果、それが売れなかったわけです。恐ろしいですね~。」
売れなかった筐体が倉庫で眠って1年2年と経った時に、先輩から小山さんに電話があった。
小山「『小山ぁ、この音を聞け』って携帯から聞こえてきた音がバリバリバリ、ガシャガシャガシャ。何の音ですかって聞くと、『お前の機械が全部売れないから燃やしてるんだよぉ』って言われまして、燃やされてしまいました。」
─── 聞いただけで辛くなってしまう強烈なエピソードですが、ビジネスである以上は覚悟を持って取り組むべきなのだろうなと改めて思わされます。
ゲームセンター部門としても、小山さんとしても苦しむ中、状況を変えるべくコンサルティング会社が参画した。彼らは部署の改革として、事業部長以下は全員平社員とする文鎮型組織へと変えた。その結果、仲間や上司は割り増しされた退職金を受け取り辞めてしまう。
小山「こんなときに長井先生、梅澤先生という方に出会いました。」
まとめ
メカエンジニアとしてのキャリアを捨て、企画になって一から学びなおす中で多くの失敗を経験してきた。そんな体験があるからこそ今があるのだろうなと思いました。
学生という失敗時のリスクが比較的小さい時期に、失敗を経験することが将来に活きてくるのではないでしょうか。
安全に失敗できる時期に失敗を恐れるのはもったいないと思うので、挑戦あるのみのマインドでいきたいですね。
小山さんが長井先生、梅澤先生のお二人から学んだことについても教わってきました。
#3ではどんな商品、企画が成功するのかについて紹介します。
引き続きどうぞよろしくお願いします!