ゲーム、アニメ、コミック、映画… あらゆるメディアに向けてワンストップでコンテンツを制作! あまた株式会社代表・高橋氏が目指す未来と、そこに至るまでの不思議な経緯とは?-第2回
7回の連載に分けてお送りしている対談の第2回目。『どこでもいっしょ』のディレクターから、オンラインゲームの運営、ガラケーのゲーム開発などを経て自ら起業!スマホからコンシューマー、VRゲームなどオールジャンルのゲームを開発するあまた株式会社が、映像、コミックなど、ゲーム以外のコンテンツを制作する理由や、その先にある未来の姿について、高橋社長に熱く語っていただきました。(聞き手:コンフィデンス取締役 竹下和広)
■第1回インタビューはこちら
第2回 - テクモ退社後、ピピンを売ったり、パソコン教室の先生をしたりしたのち、たどり着いたのがSCEだった!?
竹下和広(以下 竹下):何かキッカケはなかったのですか。単に飽きたとかですか?(笑)
高橋宏典(以下、高橋):いや、テクモに限らず、当時はゲーム業界全般の離職率は高かったんじゃないかな、と思うんです。
竹下:辞める時は1996年ですか?
高橋:そうです。ちょうど3年で辞めました。とりあえず有給消化して、「エヴァンゲリオン」をテレビ放映している時期だったので、毎週エヴァンゲリオンをリアルタイムで観ていたら有給が無くなって、どうしようと。(笑)
竹下:…面白い。そんな感じで辞められたとは。次は何しようではなくて、有給消化をどう楽しむか。(笑)
高橋:有給消化をしてるうちに、職探しをすればいいやと思ったんです。自分に優しいタイプなので(笑)、「エヴァ」を観てゴロゴロしてたら、あっという間に2ヵ月の有給がなくなって、来月から給料ないじゃんと。
竹下:2ヵ月やっちゃったんですね!
高橋:やっちゃいました!
竹下:で、それからどうなるんですか?
高橋:つぎは派遣社員に登録して、ピピンアットマークを売ったりしていました。(笑)
竹下:ふつうに転職活動をして、会社に就職するのではなく何故、派遣社員を選んだんですか?
高橋:当たり前ですけど、転職活動するのは初めてだし、今のようにインターネットの求人サイトなどもないので、求人情報誌か何かを見ていたら、インターネットに詳しい人募集というのがあって、行ってみたら日雇いの派遣社員だったんです。
お金が早く欲しいので、1日単位でも構わないということで決めました。
集められて何をするのかなと思っていたら、「ピピンアットマークというのがあってね」と言われ、「午前中はこれを勉強しろ」と渡されたのが「インターネットの仕組み」やピピンアットマークのカタログで、「キミは午後から紀伊國屋アドホックに行きたまえ」とか言われて、そこの売場に立って対応したり。
竹下:ほほう、それはどのくらいやったのですか?
高橋:2~3日くらい。もともと短期募集の日雇い派遣でしたから。その後はパソコン教室の講師とか、これも派遣社員でした。その後、就職するつもりはなかったのですが、1996年の12月にソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE)に入社しました。
竹下:えらい急転直下でSCEなんですね!どんなキッカケだったんですか?
高橋:当時「ゲームやろうぜ」というクリエイターオーディションをやっていまして、知人からゲームやろうぜという、ゲーム開発、契約期間は月額でお金をくれて、「好きなゲームを作れるよ」みたいな話を聞いて…。「バンドやろうぜ」のゲーム版みたいなことをやっているんだよと言われて、「何、その夢みたいなやつ!」と思って、企画書を書いて応募しました。
書類選考に通って、面接を何度かやって、最後の面接が当時のSCEの制作部門の偉い方で、合格かと思ったら、「ところでさ、これは社員面接なんだけど」と言われて、ハア? と。「よく意味がわからないですが…」と聞いたら、当時のSCEの制作部は内部制作チームを拡充しようとする時期で、「ゲームやろうぜ」に応募してきた中から、こいつは社員向きだろうというのを、いつの間にか社員採用ルートに乗せていたと…。
竹下:そこから運命が動く感じですね!興味深い!
高橋:ああ、社員なんですかと。
竹下:あまりうれしくなかったんですか? それともピンとこなかった?
高橋:SCEに入るぞ!と思って応募したわけではなかったので…SCEさんからお金を貰って好きなゲームを作れるぞ!と思って応募したのに、いきなり社員なんだけどと言われても戸惑いますよね(笑)
竹下:でも、結果オーライですよね。社員で雇われれば毎月お金をもらえる訳だし。
高橋:その時は派遣社員の仕事もやってたし、急いでどこかの会社に就職しようとも思ってなかったので、「ああそうなんだ」と思ったけど、それはそれでアリかなと。で、入社したら、配属が「ゲームやろうぜ」の社員側としての部署になります。
竹下:いわゆる運営側というわけですね。
高橋:当時、社内ではディレクターと呼んでましたね。でも職務的にはプロデューサーです。オーディションに受かった人たちってバックグランドがバラバラで、ゲーム会社出身の人もいれば、学生から直接入って来た人もいる。会社でチームを組んでたような人たちもいれば、大学のサークルみたいなところでバラバラにやってきた人もいる。
そこに担当としてついて、下手するとゲームを作ったことのない人もいる中で、一緒に企画を出し、それをちゃんとした企画にまとめて、企画書を社内上程し、これならプロトタイプを作っていいよと言われたらプロトタイプを作るというプロセスがあったのですが、担当のチームをいくつか持ってやりなさいと。
竹下:良い企画は出たのですか?
高橋:一番ヒットしたのは『どこでもいっしょ』ですね。
当時の制作チームは、今はビサイドという制作会社になっていますが、ビサイド社長の南治さんのチームが応募してきていて、「はい、じゃあキミが担当ね」と言われて、最初何タイトルも案を出していたのですが、つぎつぎにボツ…。
いろんな企画を出したりして、でもなかなか企画が通らないねと言っていたある日。自分たちでプロトを作って、凄い簡単な、いまでいうモックアップみたいな、ゲーム性がわかるような試作を作って、自分たちでこれは無理だとの結論に至ったので、当時のプランナーをやっていた男性と女性がいるのですが、3人で飲みに行くかという話になり、新宿の思い出横丁で酒を飲みながら、なかなか企画がまとまらないねと。
長期間、企画が動いてなかったんです。
あまた株式会社
代表取締役社長 高橋宏典
大学を卒業後、テクモに入社。その後ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)で『どこでもいっしょ』のディレクションを担当し、最年少プロデューサー(当時)に。その後フロム・ネットワークス、韓国でオンラインゲームのスタートアップ企業、キューエンタテイメント等を経たのち、株式会社たゆたうを起業。設立10年の節目に社名をあまた株式会社に変更、現在も代表取締役社長を務める。