【ゲームプロデューサーを目指す学生がクリエイターにインタビュー】必ずしも新しい何かを探さなくてもいいのではないか ヨコオタロウ#6

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穴はそこらへんにあいている
世の中でやられていない事、何かの事情でまだ実現できていない事。
それらは全部「穴」で、埋めなきゃいけない。
ヨコオ様(以下、ヨコオと表記)「自分は『やられてないことをやんなきゃいけないって』いう強迫観念があって、それでずっとやってて。『穴を埋める』って表現が一番近いんですけど。」
ヨコオ「穴の探し方?いや、穴は別にいっぱいありますよね。世の中は穴だらけ過ぎて、石を投げたらやってないことに当たるんで、あえてそれを探す必要はないっていうか。例えば納豆が主人公で、なんだろ......哲学を語るゲームとか出てないじゃないですか。」
ヨコオ「バカみたいな例ですけど、それもやられてないんで埋めないといけないっていう気持ちがあって、そういう意味では世界中に穴がボコボコにあいてて、誰も埋めないから別に探す苦労ほとんどないですね。」
福山「探すのに苦労している人からすれば、ゲームやジャンルというフォーマットを重ねたとき、『こういうことしなきゃ』みたいな既に埋めてる穴の所に立っているのかなという気がします。」
ヨコオ「何かの続編を作らないといけないとか、よくありますよね。やらなければいけない既存の仕事、その枠組みにとらわれてるよっていうお話だと思うんですけれど。ただ、既存の枠組みにとらわれてるものを作りたいなら、別に何か新しいことを探さなくていいんじゃないでしょうか?」
ヨコオ「僕は穴を埋めるのが趣味だけど、そういう性癖だからやってるだけです。みんながみんな、新しいものを作る必要ないと思うんですよね。」
ヨコオ「だって思いついてないならやりたいと思ってないはずじゃないですか。そんなものをわざわざ探して、しかも無理やり考えた事が、お客様に受け入れられなかったらストレスしかないから、もうやる必要がまるでない気がします。」
売ること≠新しいものを見つけること
福山「その穴について言えば、穴にも需要の有無などいろいろな種類があると思いますが、その種類は考えないという感じですか。」
ヨコオ「変なカテゴリーの『穴』を見つけて、それに新規性はあっても、売れないと困るよねって話だと思うんですけど。そのときは、何で売るかをちゃんと考えるのが大事じゃないですかね。」
ヨコオ「例えば、ディズニーで何か新規性のあるものを出したいですみたいな話が仮にあった場合、その新規性のあるテーマで売るのではなくて『ディズニーだから売れてる』っていうことをちゃんと認識することが大事っていうか。売ることと新しいものを見つけることがイコールっていうのは難しいんじゃないかなっていう気はしますけどね。」
ヨコオ「これは新しくて売れるぞとはあんまり思わなくて、これまであった売れ線のものにちょっと味変でこれ入れてみようかなって、うまくいくといいなみたいな、そういう感じがほとんどな気がしますけど。」
福山「飲食店とかでいつも食べてるメニューがあって、それに何かプラスアルファされたものが売ってたらちょっと食べてみようかなっていう感覚に近いですか。」
ヨコオ「そうですね。だからラーメン屋で新しいラーメンがあったら食べてみようと思うけど、別にラーメン屋さんで新作パスタが出てもあんまり食べたいと思わない。分かんない、ラーメン屋のパスタちょっと食べてみたい気がしてきた。」
福山「ちょっと美味しそうな気はしますね。」
─── トマトラーメンは美味しいが、ラーメンではなくスープパスタと言い張る人も居るので、ラーメン屋のパスタは美味しいはず......
今回のお話をうけて
執筆にあたって、改めて「穴」についてのヨコオさんの考えを読み直し、聞き直しました。その結果、自分の中に全く存在しない感性だという結論になりました。穴に対しての感度や捉え方が違いすぎる気がします。穴を探すというより穴が見えてしまっていると言った方がヨコオさんの感覚としては近しいように思えました。
私は、人間が敏感に感じ取れるものの一つにストレスがあると考えています。
ヨコオさんは強迫観念として、穴の存在にストレスを感じ取ってしまうし、穴を埋められるとストレスが一つ解消されて気持ち良いと感じる。だから穴が見えている。
逆に私は穴があることをストレスだと思わないし、埋めたいとも思っていない。だから穴を探そうとしたときに初めて穴を見ようとする。
なんとなくではありますが、今の自分はこのように感じました。
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