【ゲームプロデューサーを目指す学生がクリエイターにインタビュー】就活のときの気持ちって実は受験と似てる ヨコオタロウ#7

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就活も受験も、終えれば別のテーマが現れる
ヨコオ様(以下、ヨコオと表記)「就活する人にとっては、どこの会社に行くかわからないってすごく大きな悩みだと思うんですよね。」
ヨコオ「僕はもう会社に属してなくて、自分の会社をやってるんですけど。やっぱり僕が就活するときは『あの会社受かるといいな』と思っていて、頭の中ですごく大きい面積を占めてたんですよね。でも、今は全然それは頭の中にはなくて。どこの会社に就職しようみたいな気持ちもゼロ、ほとんどゼロですよね。」
ヨコオ「振り返ってみると、就活するときのあの気持ちって高校受験とか、大学受験の気持ちに似ていて、受験するときは、受かるかどうかすごく気になるんです。でも、卒業のときに、受験や合格が人生ですごく大きなテーマだったかって言われると、『いや、就活の方が大きいテーマだよ』みたいな次のテーマのことを語ってて。受験に落ちてても人生がめちゃくちゃ変わってたかっていうとそんなこともなくて、多分違う人生で次の大きいテーマっていうのは現れたと思うんですよね。」
結局みんな幸せそうにしている
ヨコオ「受験にせよ就活にせよ、おそらくは自分が選べる範囲の中で最善だろうと思うところを選んでいると思うんです。けど、例えばゲーム会社だったら海外の会社さんとかを日本の学生さんはあんまり受けないじゃないですか。アメリカ本土の会社に行って英語で受けたりするのは難しい。やれる範囲で受けられる範囲での幸せな未来を、一生懸命分岐を選ぼうとしてる。でも、見てる感じだと結局みんな幸せだって言ってるなと思ってます。」
ヨコオ「学校落ちても会社落ちても、大人は最終的には幸せな顔してるよねっていうことをすごく思うんですよね。だからあんまり就活で怯える必要はないんじゃないっていうふうに僕は思いますけどね。後で振り返ってみると本当に大したことない。それは受験と同じぐらい大したことない気がするっていう。」
─── 落ちたとしても幸せな顔をしているという言葉は、前期の大学受験で落ちて後期の大学に通った身としてとても共感できます。実際に友人にも同じような境遇の人はそれなりに居ますが、少なくとも不幸そうな顔はしていません。
ヨコオ「一方で何人かあったことがあるんですけど、受験ですごく成功してるタイプの人で、就活で失敗するタイプの人っていうのがいます。受験のときに必要とされる能力と、就活で必要とされる能力の差異に苦しんでる人とかいて、未来がバラ色じゃなかった、いい学校行ったけど、みたいな人もいてなかなか人生ままならないよねって。」
ヨコオ「ただ、それで就活うまくいかなくてもその人その人が答えを見つけて、楽しく人生を送ってるんだろうなっていうふうにはすごく思うんですよ。なにか正解めいたものは本当はないんじゃないのっていうのをすごくっていうのは思いますけどね。」
今回のお話をうけて
ヨコオさんの言葉自体は共感できることも多く、最終的には幸せそうに暮らしている人も大勢いると思います。一方で、そうではない人も当然居ると思っていて、その境目は自分なりの答えを見つけられたか、極端な言い方をしてしまえば自身のこれまでを正当化できる何かを見つけられたかどうかではないでしょうか。だからこそ「自分のやってきたことを肯定する経験談」を話すのかもしれません。
正当化という行為は人間が自分を守るための大切な機能だと思いますし、それができない状態の方がよっぽど不健全だと思います。目の前の大きなテーマにちゃんと頑張ったということが正当化できる要素の一つになる気がします。
だからこそ、目の前の大きなテーマを達成できないことに怯えなくて良いし、気負いすぎないで良いということではないかなと思います。頑張ったとしても気が張り詰めすぎて空回ったり、就職活動でメンタルをやられてしまうという話なんかはよく聞く話ですから。
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